不動堂
顧客レビュー
不動堂 評価は 3.8 ~から 5 に基づいて 21 レビュー Googleで
鑁阿寺中御堂(ばんなじなかみどう) 足利市指定文化財(建造物) 桁行3間6.73m 梁間3間6.73m 棟高10.42m 入母屋造り、本瓦葺 鑁阿寺を開いた足利義兼により建久(けんきゅう)7年(1196)に建てられ、その後、文禄元年(1592)に足利基氏の末裔で喜連川氏初代である喜連川国朝(くにとも)により再建されました。 一山十二坊図(いちざんじゅうにぼうず)には護摩堂と書かれていて、本堂と屋根つきの廊下で結ばれていたことがわかります。 現在の建物は組みものや彫刻のつくりから江戸時代中期以降の建造物と思われます。 なお内部には平安時代作といわれる不動明王像が置かれています。 足利市HPより
寺伝では開基足利義兼公の創建とあるが、文禄元年(一五九二年)生実御所国朝の再修になる。 御本尊不動明王は従古千葉県成田山より勧請せるもので興教大師の作といわれ霊験あらたかな不動明王である。 本堂が明治四十一年国宝に指定される迄は不動堂と廊下でつながっていて四度加行の護摩法の道場として使用した堂宇である。 昭和四十四年信徒の浄財により半解体修理を実施した。 商売繁盛を祈念する堂であると同時に西年守本尊なり。 堂の右側に古井戸の跡あり八百年前足利氏が居住した時に使用したといわれる。
鑁阿寺の中堂です。
鑁阿寺 中御堂(不動堂) 文禄元年(1592年)、生実御所国朝の再建という。 足利国朝は、かつて総州小弓(生実)御所と称された足利義明の孫であり、国朝の父は義明次男の頼純(頼淳)である。 小弓の地は、元々千葉氏の勢力圏にあり、千葉氏家臣原氏が在城していたが、永正・大永年間に義明を奉じた上総武田(真里谷)氏によって攻略され、義明の入城より小弓御所を称した。 しかし、天文七年(1538年)の下総国府台の合戦によって足利義明が敗タヒしたことで小弓公方は滅亡し、小弓城は再び原氏の支配に復した。義明遺児頼純は逃れ、安房里見氏の庇護を受け、暫し潜伏生活を余儀なくされた。 天正十八年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で、小弓城主であった原氏が後北条氏と共に滅した為、この混乱に乗じて安房里見氏の助力によって再び小弓を奪還したという。 小田原征伐の戦後処理に係る秀吉は、足利家断絶を惜しみ、古河公方足利義氏の遺児氏姫を、小弓公方足利頼純の子国朝に娶わせ、天正十八年に下野喜連川に3500石の所領を与えた。これが後に喜連川藩となる。国朝は文禄二年(1593年)に文禄の役従軍中に病没し、家督は弟の頼氏が継承した。 当不動堂の案内板によると、「生実御所国朝」との表記になっている。これは、国朝が当時喜連川、古河、小弓の何れに在ったのかは不明なものの、文禄元年(1592年)には、尚小弓に本拠があったという細やかな証拠となるのだろうか。後に喜連川に本拠を移す足利氏の末裔は、束の間の小弓御所再興を誇りに思っていたに違いない。 同郷の誼を感じ、不動堂では一層念入りにお参りした次第である。
足利市指定文化財。1592年、生実御所国朝が再修、江戸時代中期に現在の建物が造営とあります。脇役的存在のためか人の行き来が少ないです。
国宝や重文の建物がたくさんあります。 御朱印カッコいいです!
歴史を感じられる。 お堀には大きな鯉が泳いでました。(^o^)v
~に関する情報 不動堂
住所
不動堂 に位置しています 日本、〒326-0803 栃木県足利市家富町2220 不動堂
電話
電話番号は 不動堂 は +81 284-41-2627
ウェブサイト
ウェブサイトの 不動堂 は ashikaga-bannaji.org
