日蓮宗宗門史跡 花房山蓮華寺
📍 寺院 の 鴨川市
日蓮宗宗門史跡 花房山蓮華寺は鴨川市 (日本)にあります。寺院のカテゴリで注目されており、評価は7.0です。詳細はこちらをご覧ください。
の特徴とサービス: 日蓮宗宗門史跡 花房山蓮華寺
設備
- トイレ
顧客レビュー
日蓮宗宗門史跡 花房山蓮華寺 評価は 4.8 ~から 5 に基づいて 12 レビュー Googleで
鴨川富士の麓でのどかな雰囲気です。 駐車場までの道路が狭く駐車場も草地のため雨上がりは注意が必要です。 御主題は堂内のお賽銭箱の上に書き置きがあり頂けます。
鴨川駅より車で10分程度の場所にある無人の寺院。 日蓮聖人が小松原法難の際に暫く逗留された場所とのこと。 師の道善房が清澄寺から駆け付けて見舞われた場所でもある。
山号を常経山と号する日蓮宗の寺院で、古より真言宗智山派の寺院でしたが、廃寺となったのちに日蓮宗が寺院を建立、現本堂は昭和56(1981)年に再建され、日蓮宗史上重要な史跡『日蓮宗宗門史跡』に指定されます。文永元(1264)年11月11日、安房国東条郡(現・鴨川市)天津の信者・工藤吉隆の招きに応じて弟子・信者と共に吉隆の屋敷へ向かっていた日蓮大聖人一行が、東条の郷・松原大路(小松原)に差し掛かった際に地頭・東条景信の軍勢に襲撃された事件『小松原法難』、この法難で日蓮大聖人は頭に疵を負い、その疵を洗った『日蓮聖人御疵洗之井戸』が寺院手前にあります。北側に広い駐車スペースあります。
日蓮大聖人の生まれ故郷の布教の本拠であり、宗祖生涯の中でも極めて意義のある地であり、一度は訪問したかった場所である。大聖人は、この地で生まれ、立教開宗したため、この地を支配する地頭の東条景信の恨みを買い、それまで折伏の拠点としていた清澄寺を追われることとなった。そこで東条から逃れるため師の道善房と共にこの地に一時身を寄せたと言われる。またそのため故郷で公に折伏ができなくなったことから、当時の政治の中心地である鎌倉に布教の拠点を求めることとなった。ここでも多くの民衆の支持を獲得したが、同時に鎌倉での大聖人の民衆への折伏に対し脅威を感じた幕府の反感を買うことになり、松葉ヶ谷の地で草庵を焼かれ、鎌倉での説伏の拠点を一時失うこととなる。また母の危篤の知らせを知り、また故郷に戻らざるを得なくなるが、母の看病には功を奏したものの、小松原の地で地頭の東条らから命を落とされそうになる。大聖人が命を奪われる危機に遭遇したのは、ここ花房の蓮華寺から天津の工藤公の居館に移動する途中と言われ、この地には大聖人が小松原の地で額を斬られ、その疵を治したと言われる疵洗いの井戸の遺構がある。またこの地で大聖人が師の道善房と再会、法華経帰依を促し、師が大聖人の求めに応じ、感激したと言われる逸話がある。
R7.10.18参拝 留守の為御首題頂けず。
日蓮宗の宗門史跡寺院。とてもこじんまりしてますが、日蓮聖人が清澄寺退出後や小松原法難前後など南房総地域に滞在する際に拠点としていたとされる、由緒あるお寺です。 山の麓にあり、夕方は早くに薄暗くなるとのことですが、本堂前には水田が広がってのどかです。建物自体は新しいのですが、周囲の風景が日蓮聖人在世中の時代に思いを馳せることができそうな雰囲気でした。 参拝に伺ったときは女性御住職がいらっしゃって、外房周辺の日蓮宗寺院のことを色々教えて下さいました。 また、「種を持っているだけではなく、蒔いて、水や肥料を上げて実らせる、そんな人生を送って下さい」との御言葉も戴きました。
日蓮聖人が清澄寺を退出した後や小松原法難前後に逗留し布教の拠点としていたとされる霊跡。また、日蓮聖人の師である道善房との再会の地でもあります。そして、小松原法難後に避難して負傷した傷を治療した、御疵洗之井戸が残っています。
~に関する情報 日蓮宗宗門史跡 花房山蓮華寺
住所
日蓮宗宗門史跡 花房山蓮華寺 に位置しています 日本、〒296-0032 千葉県鴨川市花房1236 日蓮宗宗門史跡 花房山蓮華寺
電話
電話番号は 日蓮宗宗門史跡 花房山蓮華寺 は +81 4-7093-0565
