大信寺
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大信寺 評価は 3.8 ~から 5 に基づいて 33 レビュー Googleで
大信寺は、浄土宗のお寺で元亀元(1570)年 総誉清巌上人による開山、御本尊は阿弥陀如来です。徳川忠長と守随彦三郎の墓があるとのことで訪れました。 幼稚園が併設されていて境内は幼稚園の園庭のように見えました。ちょうどお迎えの時間で門が少し開いていたので中に入りました。オドオドしていると不審者にしか見えないので、そこはもう堂々と本堂へ向かい手を合わせた後、裏のお墓へ進みました。 お寺のホームページによれば、「二代目将軍秀忠の次男で三代将軍徳川家光の実弟にあたる徳川忠長は、言行粗暴・大逆不遜の罪人として嫌疑をかけられ、寛永9(1632)年に高崎城に幽閉、寛永10(1633)年に切腹を命じられました。その後、当大信寺十一世 心誉上人によりこの地に埋葬されました。」とのことです。権力者の座もなかなか厳しいですね。もし忠長が将軍になっていれば、家光はうつけ者の兄として後世の歴史書に名を残したかもしれませんね。 もう一つの守随彦三郎の墓は、江戸幕府が秤量統一のため、守随家の江戸秤座に秤の製造販売の特権を与えたそうで、守随家では、各地に四十一カ所の「出店」を開設、高崎では元禄十二(一六九九)年に、四代目彦太郎正得の三男彦三郎が名代役となって高崎秤座を開座したそうです。 徳川忠長と守随彦三郎の墓は仲良く並んで建てられていました。
大信寺は浄土宗のお寺で徳川家光の弟の駿河大納言徳川忠長公の墓所があります。大信寺の中に幼稚園もあり、門には閉まっているので小心ものの自分は入ることができません。徳川忠長の子がテレビにあった松平長七郎ですが、埼玉県秩父の武甲山の辺には松平長七郎伝説があります。
浄土宗のお寺。入口は西側のみ。境内には徳川家光の弟徳川忠長の墓以外見るべきものなし。忠長の墓は本堂の裏手に行けばすぐわかる位置にある。
こちらには、徳川忠長公の墓所があります。 駿河大納言忠長は、徳川家光の弟でしたが、兄に勝って優れた人物であった為、父の秀忠は自分の跡を継がせようと考えていたといいます。 しかし、駿府の大御所である家康は許さず、長男の家光を三代将軍とせよと命じました。 忠長は駿府五十五万石の城主となりましたが、秀忠が亡くなると、家光は忠長に乱行ありとして、高崎城に幽閉。さらに追い打ちをかけるように、切腹を命じ、忠長は二十九才の若さで自刃して果てました。 一説には高崎城を脱出して、この大信寺まで逃れた末、追っ手に包囲され、立ったまま腹を切ったとも伝えられています。 死骸は大信寺に下げ渡され、その墓石は将軍家の後継者争いの悲劇を伝えています。 本当に乱行があったのか、家光が自分よりも優秀な弟を許せなかったのか、真実は歴史のなかに埋もれてしまっています(;_;)/~~~ チョッと面白い話としては、その忠長の嫡子が松平長七郎であったことです。 彼は父に似て文武に優れた好男子でありながら、父を死に追いやった幕府には仕えようとはせず、諸大名もまた家光に遠慮して、召し抱えようとはしませんでした。 その為、長七郎は自由な身で誰に遠慮をすることもなく、気ままに旅をして歩いていたようです。 立ち寄れば大名達も金を用立てたので、暮らしに困るようなこともなく、ドラマの里見浩太朗のようにゾロリとした贅沢な身なりをしていたかも知れません。 また、なかなかの暴れ者であった為、旅先で様々なエピソードを残し、黄門さまのように、時代劇のヒーローとなったということです(*^^*) 一度めに、この大信寺を訪ねたときは、門扉に鍵が懸かっていて入ることができませんでした。 そして二度め。またしても鍵が懸かっていたので、外から写真だけを撮り、スゴスゴと帰ろうとしたら…ちょうど白髪のご婦人が出てきました。 意を決して事情を話すと「どうぞ」と言って鍵を開けて下さり、忠長公のお墓まで案内して下さいました。 とても上品な方で、ご住職の奥様だということでした。 終戦の前夜に高崎市も激しい空襲を受け、墓所は残りましたが、本堂を始めとしてお寺は一切を失ったこと。そのあと、ご住職の懸命の努力により再建されたことなど、お話を聞かせていただきました。 駅の真ん前なので、開けておくと違法駐車をされたり、大変なようですね。 今回、お墓を見られたのは本当に幸運でした(^_^)v お礼を言って出ると、裏は怪しげな?飲み屋街。やっぱり高崎は都会ですねぇ(^_^;)
二代将軍、徳川秀忠の三男として生まれ、三代将軍、家光と将軍争いをした忠長ですが、一説には明智光秀の血縁が入っている春日局が推す家光と、織田信長血縁が入っている忠長ですが、覇権争いは春日局が勝ち、家光を徳川三代将軍にする事が出来ましたが、信長の血縁が入っているか定かではありませんが、忠長は酷い癇癪持ちで家臣と鷹狩りに出かけた山小屋で、家臣が間違えて暖炉の火を中々付けれないでいると、怒って家臣を切り捨ててしまったなどの、色々な逸話があります。徳川将軍家光公の異母兄弟の為に中々、罰を命じる事が出来ない為に、仕方なく高崎大信寺に蟄居させ、切腹を命じられたというお話が残っています。織田信長公の血縁も良い方向に進めば良かったのですが、悪い方向に行ってしまった為に早くして亡くなってしまいましたが、もう少し長く生き家光公と仲良くして将軍家を支えて欲しかったと思います。
三代将軍徳川家光の弟、駿河大納言徳川忠長が眠る墓所はこちらにあります。 祖父家康、また両親を巻き込んでの将軍後継者争い。その結果、若い忠長が自刃に追い込まれてしまったことなどの悲劇がここで再確認できます。
三代将軍となった徳川家光公に敗れた駿河大納言徳川忠長公がここに眠っていることでイメージが定着してしまいました。高崎城内で幽閉されて自害に追い込まれたという伝説が残っているからなのです。時代劇の「長七郎江戸日記」の冒頭の語り部分でも触れられています。
~に関する情報 大信寺
住所
大信寺 に位置しています 日本、〒370-0053 群馬県高崎市通町75−75 大信寺
電話
電話番号は 大信寺 は +81 27-322-6069
ウェブサイト
ウェブサイトの 大信寺 は daishinji.com
営業時間
月曜日: 9時00分~17時00分
火曜日: 9時00分~17時00分
水曜日: 9時00分~17時00分
木曜日: 9時00分~17時00分
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日曜日: 9時00分~17時00分
