霊丘神社
顧客レビュー
霊丘神社 評価は 3.8 ~から 5 に基づいて 128 レビュー Googleで
東照大権現 徳川家康公と島原藩主だった松平家七柱を祀ってます。御朱印の三つ葉葵の金色が素晴らしく映えます。 入り口の狛犬が特徴あります 駐車場入り口の通路は若干細いです。あと石碑が1つ飛び出てるので車ぶつけないように
霊丘神社の由緒と歴史 はじまりは東照宮にゃん - 島原の乱(1637–1638年)後、荒廃した地を治めた高力隆長が、民心安定のために**徳川家康(東照大権現)**を祀る東照宮を勧請したのが始まりにゃ。 - その後、島原藩主が深溝松平家に代わり、七代の藩主の霊を合祀。明治16年(1883年)に現在の「霊丘神社」と改称されたにゃ。 合祀された神々 - 主祭神:徳川家康(東照大権現) - 合祀神:宗像三女神(多岐津比売命・多岐理比売命・狭依比売命)、稲荷明神、松平氏七代の霊 素晴らしさ・見どころ - 徳川家との深い結びつき 拝殿には葵の御紋が描かれ、「徳川家康公御遺訓」が掲げられているにゃ。「人の一生は重荷を負うて…」のあの名言にゃん。 - 霊丘公園の花見名所にゃん 境内は霊丘公園の一部で、春には約250本の桜、初夏には3000本のヒラドツツジが咲き誇るにゃん。にゃんこたちもお花見に集まるにゃ〜! - 蒸気機関車と歴史の融合 境内には**島原鉄道C12形蒸気機関車(C1201号機)**が静態保存されていて、近代の交通史ともつながってるにゃん。 - 例祭は毎年10月13日〜15日 地域のにゃんこたちが集まって、にゃん舞や奉納が行われるにゃ。にゃんこ神さまもご機嫌にゃん!
江戸時代・島原の乱(1637-1638年)の直後、敵味方・宗教を超えた犠牲者の鎮魂を願い、徳川家康(東照大権現)を祀る東照宮をこの地に勧請(分祀)したのが始まり 一対の狛犬は非常に特徴的 悲劇を繰り返さないための存在であり、鎮魂・慰霊の役割を担っているんだとか 2025.12.28
記念旅行途中に立ち寄り 猛々し脚長狛犬がお出迎え 御朱印をいただきました
1 概略 ■ 御朱印を直書きで頂けます ■ 受付時間は、9 時から 17 時 ■ 御朱印帳の頒布もあります 島原市の霊丘公園の一角に鎮座して います。島原鉄道の霊丘公園体育館駅 から徒歩 3 分と非常に行きやすいです。創建は、寛永十四年(1638)、当時領民の信仰の厚かった家康公を祀る東照宮を勧請したのが創始です。御朱印は、1 種類で社務所にて頂けます。宮司が不在の場合もご家族の方が書いて頂けますが、確実に頂きたい方は、事前に連絡してから 訪問することをお勧めします。 2 御朱印帳 ■ 大きさは通常サイズ 表紙に御朱印帳・霊丘神社と書かれた シンプルなデザインですが、とても綺麗な紅い生地が使われていて高級感あります。裏表紙には葵の紋が描かれています。
2023年8月参拝。 島原巡り…観光地近くの海に近い場所に鎮座するお社です❗ 線路などもありますが、 看板などが出ているので分かりやすいです❗ 広い敷地に 少し小高く建つ社殿。 拝殿前の狛犬さまが、また変わった感じ。 是非見て下さい。 戦没者の慰霊塔…長崎はやはり多いですね。 御朱印を戴きに来ました❗ 授与所のインターホンで お隣から来て下さり…拝殿内で 書いて下さいました✨ 駐車場は、広くて止めやすい空地ありです
令和6年 元旦 数日滞在する旨とご挨拶の為、初詣しました。 日和の良い暖かな午後、 地元の方や帰省中と思しき沢山の人達が、 お参りしたり挨拶を交わし談笑するなど、 思い思いの時間を過ごしていました。 鳥居の目前まで車で入れて、 そのまま駐車も出来ましたので、 参拝にそれ程の時間はかかりませんでした。 敷地内の稲荷様など、 数カ所傷んでいる施設があり、 出来れば直していただけると嬉しいです。 いつまでも永く残って欲しい場所です。 お世話になりました。 2024 1.1 【御祭神】 ○源家康 (徳川家康公 東照大権現) ○島原藩主松平氏(深溝松平家)七代之霊 松平忠定公・好景公・伊忠公・家忠公・忠利公・ 忠房公・忠和公 ○宗像大神 (ムナカタノオオカミ 宗像三女神) 多岐理比売神(タギリヒメ 田心姫命) 三姉妹の長女 港や船の海上交通の守護神 多岐津比売神(タギツヒメ 湍津姫命) 三姉妹の次女 海の豊穣と漁業の守護神 狭依比売神 (サヨリヒメ 市杵島姫命 弁天様) 三姉妹の三女 島々と海を結ぶ海上の守護神 ○稲荷明神 【御利益】 海上安全 財福 商売繁盛 技芸 音楽 弁舌 交通安全 豊漁 子孫繁栄 戦勝 知恵 【祭礼日】 1月1日歳旦祭 2月12日祈念祭 2月17日初午祭 6月30日夏越祭 10月13日~15日例祭/神幸祭 11月23日新穀感謝祭 【由緒】 島原の乱(1637年-1638年)の後、 当地を治めた高力氏により東照宮が勧請された ことに始まる。 源家康(徳川家康、東照大権現)を奉斎する。 高力氏は、島原の乱で荒廃した社寺を復興し、 他領から百姓を招き入れて農村の再建にも 努力している。 この東照宮の勧請も民心の安定を願ってのこと とされる。 明暦元年(1655年)、高力隆長が圧政と矯奢を 咎められ、 寛文8年(1668年)に領地を没収された。 その後を受けて松平忠房が入部し、 以後当社は歴代藩主に崇敬された。 古くは権現山と称し、 海岸伝いにしか行けなかったが、 寛政4年(1792年)の眉山の崩壊によって 埋め立てられ、現在の地形となった。 明治16年(1883年)には高力氏の後を受けた 島原藩主松平氏(深溝松平家)、忠定・好景・ 伊忠・家忠・忠利・忠房・忠和の七代の霊と、 宗像大神(多岐津比売神・多岐理比売神・ 狭依比売神の宗像三女神)、 稲荷明神を合祀し、現在の社号となる。
~に関する情報 霊丘神社
住所
霊丘神社 に位置しています 日本、〒855-0802 長崎県島原市弁天町2丁目7341 霊丘神社
電話
電話番号は 霊丘神社 は +81 957-62-3446
