木幡神社
顧客レビュー
木幡神社 評価は 3.9 ~から 5 に基づいて 112 レビュー Googleで
木幡神社は 平安時代後期に創建されたと伝わる古社で、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐の帰路に勧請したのが始まりとされているようです。 また、春には鳥居の両脇に桜が咲くスポットとしても知られています(4月上旬〜中旬頃)
由緒ある神社です。階段が苔むしており、歴史を感じました。ご神木も立派で、樹齢200年とのことです。残念ながら御朱印はいただけませんでしたが、参拝して良かったです。御手水に蜂が水を飲みにきていて可愛らしかったです。
鳥居から望む楼門が立派で目を引きます、御朱印目当てで参拝しましたが社務所は無人で雨戸も閉まっており断念。 境内は綺麗で見処も多くまた土日に来たいと思います。 車で参拝する方は目の前が駐車場になっていますので楽に参拝出来ます、
後に征夷大将軍になる坂上田村麻呂は、蝦夷征伐を命じられた時、日頃から信仰していた、山城国宇治郡に鎮座する許波多神社に戦勝祈願を行い、蝦夷追悼の願が叶ったならば、新たな社を設けることを約束した。延暦十四年(795)、蝦夷征伐において、戦功があった帰京の途次、この地に、山城国許波多神社を勧請し、建立された(塩谷惟広が勧請したという説もある)。塩谷氏の氏神として崇敬された。栃木県最古の神社建築である。 平成十五年(2003)十二月吉日、創建千弐百年記念事業、刻の玉垣。木幡神社の大きな石柱。左側に、天保十三年(1842)三月、刻の、男體山、の石碑。文化五年(1808)、刻の、熊野三神、の石碑。十十三夜供養、の石碑。天保十三年(1842)二月、刻の、湯殿山、の石碑。その後ろに、阿修羅像。赤い大きな鳥居をくぐると、平成十五年(2003)十月吉日、刻の、春日灯籠一対。昭和六十年(1985)十二月吉日、刻の、春日灯籠一対。その裏に、塩谷氏の家紋である、左三つ巴の刻まれた手水盥。石段を上ると、明治三十四年(1901)一月建之、の玉垣で囲われている。国指定重要文化財の楼門。室町時代中期建立。一間一戸楼門、入母屋造、銅板葺。屋根は、鶴が翼を広げたような美しい形で、朱塗りで、手の込んだ造作である。くぐると、右手に、神輿舎。明治三十四年(1901)一月建之、刻の、玉垣寄付人名、の石碑。昭和十四年(1939)五月吉辰、刻の、木幡神社縁起、の石碑。昭和二十六年(1951) 奉納講和記念、の石碑。などがあり、元和三年(1617)四月十七日 松平土佐守藤原忠義銘の、日光東照宮から木幡神社に移された、鉄灯籠舎。手水舎。石灯籠一対。狛犬阿吽像がある。右側阿形像は、ふところに仔狛犬をかかえ、巻き毛がうず高く、すじ毛が瑞雲のようにたなびく。石工 片岡村 津久井義直、と刻んである。大田原市実取の温泉神社、大田原市下石上の温泉神社の狛犬阿吽像と同じ石工である。サンショウウオか、ハチュウ類を感じさせる狛犬である。横の台座のレリーフは、牡丹のようである。左側吽行像は、右脚の下に玉をおさえ、巻き毛がうず高く、すじ毛が長くたなびく。横の台座のレリーフは唐獅子である。その奥に朱塗りの拝殿があり、その奥に、国指定重要文化財の本殿がある。室町中期建立。三門社流造、銅板葺。拝殿に向かって左手に、社務所がある。本殿の裏に、木の社一宇。無盡水。もう少し大きな木の社一宇。石蔵。西参道石段がある。 上と下と、二重の玉垣に囲まれ、古い杉に囲まれた、古い格式のある神社である。
社名の額には「正一位木幡社日光山大明神」と有ります 赤い大きな鳥居の石段を上がると、朱色の美しい「楼門」が有り、門を潜り右側には日光東照宮に縁の有る「鉄灯籠」安置されています 御立派な拝殿後ろには、白と朱色の美しい「本殿」が祀られています 本殿の近くには「無盡水」や「稲荷神社」が有り、境内を散策するのも楽しめます 社務所は有りますが普段は無人です。 御朱印はお祭りなどの時に頂けるようです 神社正面入口、車道を挟んで「國寳重要文化財 木幡神社参道入口」が有ります⛩ 見どころが沢山有りますので、是非一度
毎年1月14日にどんどん焼きをやってます!小さな神社⛩️ですけど、それなりに良い感じの神社です。 ガラ巻や甘酒を無料で配ってます~~~
今日は1月2日で御朱印頂きました。お守りも購入!御朱印、お守り等は神社の年間行事のある歳に頂けます。それ以外の日は不在ですので、日にちを確認して参拝する事をおすすめします。毎年正月3が日は必ず居ると思います。
~に関する情報 木幡神社
住所
木幡神社 に位置しています 日本、〒329-2142 栃木県矢板市木幡木幡神社
電話
電話番号は 木幡神社 は +81 287-43-8634
ウェブサイト
ウェブサイトの 木幡神社 は jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php
