泉澤寺
顧客レビュー
泉澤寺 評価は 3.8 ~から 5 に基づいて 42 レビュー Googleで
もともと今の世田谷区烏山にあったお寺で、天文19年(1550年)にこちらに移ったそうです。境内にある庚申塔(青面金剛)の側面は多摩郡烏山村と書かれているので、烏山の人たちがこちらに建てたのか、あっちで建てたものをこちらに移動したか不明ですが、関連があるのは確かだと思います。 他にも文政八年の供養塔や享保11年の大乗妙典六十六部供養塔などありました。
泉沢寺(せんたくじ)は、足利幕府の重臣である吉良氏の菩提寺です。元々は、東京都世田谷区の千歳烏山にありましたが、烏山の泉沢寺が焼失したため、この地に移されたそうです。 移したとは云え、近年ではなく、1550年に現在の場所へ、吉良頼康氏が再興したという歴史があります。 また、目の前が中原街道で、そのまま行くと江戸城と軍事的な要所にあったため、この寺は水堀もあり要塞のようであったそうです。 ちょっと物騒な来歴があるお寺ですが、賑やかな門前市があったそうで、今の静かな風情からは想像できない景色を楽しめます。
現在の世田谷方面に勢力を有した戦国時代の豪族・吉良氏の菩提所として、延徳3年(1491)に多摩郡烏山(現在の世田谷区烏山)に創建された浄土宗の寺院
浄土宗の寺院。宝林山運昌院泉澤寺。 御本尊は阿弥陀如来像。 千歳烏山には戦後寺町が形成されましたが、ここは寺町が形成される以前に千歳烏山から移転されています。
浄土宗のお寺で小杉十字路のそばです 中原街道沿いで栄えていたのかなぁと 歴史を感じます 観音様もいらっしゃいました
泉澤寺は、現在の世田谷方面に勢力を有した戦国時代の豪族・吉良氏の菩提所として、1491年に多摩郡烏山(世田谷区烏山)に創建された浄土宗の寺院です。5世心参上人の代に諸堂を焼失したため、1550年に吉良頼康が現在の上小田中の地に場所を移し再興しました。 泉澤寺文書によれば、再興にあたり吉良氏は、同寺の寺領を安堵し、弥陀三尊を寄進し、さらに門前町を指定して居住者に諸税を免除し、市場の繁栄を図るなどその保護につとめました。上小田中よりも少し後になって、世田谷にも同様の市ができました。現在では、泉沢寺の市は「夏の泉沢寺お施餓鬼」、世田谷の市は「冬の世田谷ボロ市」として名残りが残っています。 本堂(市重要歴史記念物)は1778年の再建で、正面5間、側面6間、入母屋造銅板葺造りです。将軍綱吉供養のため造立された、多聞天、広目天、梵天、帝釈天の木造四天立像(市重要歴史記念物)があります。
元は東京都世田谷区の烏山にあったお寺が焼失して、1550年に現在の場所へ吉良頼康氏が再興したそうです。 徳川政権下で、この一帯に小杉御殿と呼ばれる陣屋ができ、西明寺までjはわずか500メートル。そのような位置関係から徳川将軍家との関係性も深まってゆき、早くからこの寺は要塞化し水堀もあったそうです。 目の前が中原街道で、直進すると江戸城へつながっています。今現在の泉沢寺は小さなお寺で、観光客で賑わうようなスポットではありませんが、由緒あるお寺なのです。
~に関する情報 泉澤寺
住所
泉澤寺 に位置しています 日本、〒211-0053 神奈川県川崎市中原区上小田中7丁目20−5 泉澤寺
電話
電話番号は 泉澤寺 は +81 44-722-2016
ウェブサイト
ウェブサイトの 泉澤寺 は city.kawasaki.jp/880/page/0000000056.html
