正龍寺

📍 寺院 の 寄居町

正龍寺

6.6

正龍寺は寄居町 (日本)にあります。寺院のカテゴリで注目されており、評価は6.6です。詳細はこちらをご覧ください。

の特徴とサービス: 正龍寺

設備

  • トイレ

正龍寺27名中6位です 寺院 の 寄居町

顧客レビュー

★★★★★
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正龍寺 評価は 3.8 ~から 5 に基づいて 69 レビュー Googleで

かっくん

正龍寺は曹洞宗 高根山 藤源院 正龍寺と號すお寺です。北条氏邦夫妻と養父母の宝篋印塔(お墓)があります。 ※北条氏邦は藤田家に養子に入りました。妻大福御前は養父母の娘となります。金剛力士の目は彫刻眼なのか玉眼なのかハッキリしませんね!玉眼の手法は平安末期から鎌倉時代にかけて流行った手法を考えると玉眼でも有り、目の輝きを観ると彫刻眼のようにも見えなくもないしイマイチ判断に困ってしまいます!

かっくん ☆ 4/5
hiro tokiwa

曹洞宗寺院の正龍寺は高根山藤源院と号し、正龍寺は花園城主藤田五郎政行が高嶺山に筥根権現を祀り一寺を創建したといいます。貞和4年(1348年)臨済宗の僧実翁和尚が青龍寺と改号、天文元年(1532年)十五代城主藤田康邦のとき、乾翁瑞元和尚が教化、藤田康邦(法名法名藤源院天山組繁禅定門)が開基となったといいます。越生 龍隠寺の 九世東幡が当寺住職を務め、曹洞宗に改宗、当寺には藤田康邦夫妻や鉢形城主北条氏邦夫妻の墓があります。武州寄居十二支守り本尊霊場の辰巳札所です。 藤田康邦夫妻と藤田(北条)氏邦夫妻の墓所が墓地の高所にあります。

hiro tokiwa ☆ 4/5
甘粕景持

曹洞宗の寺院です。 高根山藤源院といいます。 開基は、藤田氏の始祖である花園城主の藤田五郎政行です。 創立時の寺号は良く分かりませんが、高嶺山に筥根(はこね)権現を祀り、一寺を創立すると伝わっています。 藤田能国(よしくに)の時代、1187年城下に青龍が出現し、龍泉の湖をつくり住んだと言われており、1348年に臨済宗の僧實翁和尚が、その故事にちなんで青龍寺としました。 青龍寺は後に昌龍寺に改名され、1591年徳川家康の時代に現在の寺号・正龍寺になりました。 境内には15代城主藤田康邦夫妻や鉢形城主北条氏邦夫妻の墓があり、また、県の天然記念物に指定されている玉垂の楓といわれる名木もあります。

甘粕景持 ☆ 5/5
Yoshinori MORISHITA

寄居町藤田地区にある、高根山 藤源院 曹洞宗 正龍寺(しょうりゅうじ)。 資料によると、 中世に栄えた豪族の藤田氏の菩提寺として創立された。 寺院内墓地には北条氏邦夫妻と、氏邦の養父である藤田康邦夫妻の墓が四基並ぶように安置され、埼玉県指定史跡になっている。 氏邦が北関東支配の拠点としていた鉢形城は豊臣秀吉による小田原征伐の標的となり、前田利家・上杉景勝らの北国軍(3万以上)との一ヶ月に及ぶ籠城戦を繰り広げたのち、正龍寺において開城の合意が交わされた。 寺号は青龍寺、昌龍寺を経て、徳川家康入幕後の1591年に正龍寺に改号された。 とあります。 北条氏・藤田氏のお墓は、山の斜面に並ぶ正龍寺の墓地の中でも上の方にあり、寺の境内から見ても分かるような廟になっていますが、どう上って行ったらいいかの案内は無く、カンを働かせて上って行ってください。 尚、大福御前自刀の地という記念碑が、正龍寺を出て東南の方向に120m位行った所の畑の中にありました。

Yoshinori MORISHITA ☆ 3/5
みかん2

鉢形城主の後北条氏邦彦氏の墓あります。歴史感じる惣門迎えられます。金剛力士は迫力あり生々しいです

みかん2 ☆ 4/5
Junko

寄居十二支めぐりで訪れました。辰と巳のお寺です。 御朱印は300円でした。

Junko ☆ 4/5
kenta sakuma

北条氏邦夫妻の墓のあるお寺。のちに鉢形城の支城となった花園城関連のお寺だった模様。

kenta sakuma ☆ 3/5

~に関する情報 正龍寺

住所

正龍寺 に位置しています 日本、〒369-1204 埼玉県大里郡寄居町藤田101−1 正龍寺

電話

電話番号は 正龍寺 は +81 48-581-5529

ウェブサイト

ウェブサイトの 正龍寺 は yorii-kanko.jp/12si.html

お問い合わせ 正龍寺

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