天香山妙善寺
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天香山妙善寺 評価は 3.6 ~から 5 に基づいて 8 レビュー Googleで
山梨県甲斐市「妙善寺」 宗派:臨済宗 山号:天香山 本尊:千手観音 創建:1333年(元弘3年) 開山:保翁是英 住所:山梨県甲斐市津谷4552 百足衆。使番十二人衆とも。武田信玄の配下 エリート部隊。伝令部隊です。百足は前にし か進まないから。からくる旗印。最強軍団す ねー! の1人である「阿部勝宝」の菩提寺です。最後 の最後まで武田勝頼に付き従い織田・徳川連合 軍を迎え撃ち討死したと。 勝頼が信濃高遠城主なった時から家臣となった ので長い間勝頼の側にいたのでしょう。この頃 は勝頼初陣の前ですから。 文化財多いです♫庭園、板牌、阿部勝宝のお墓、 本堂の厨子、カヤの木と見所多いのですが庭園 とお墓は撮り忘れ(泣)
1378年開山の寺院で、武田勝頼公の落ち延びルートの1つです。 新府城→光明寺→涙の森→回看塚→法喜院→妙善寺のルートを辿り、妙善寺の後は泣石になります。 またこちらのお寺は勝頼公の重臣だった安倍加賀守宗貞公の菩提寺であり、お墓もあります。 お墓までの経路案内板が無く探すのに苦労しましたが、最終的に本堂の裏の庭園を奥までよじ登ると見つけることができました。 安倍宗貞公は生年不詳ですが、1562年に当時17歳の勝頼公が高遠城に入城した際に派遣された8人の付家臣のうちの1人です。「甲陽軍鑑」によるとその中でも宗貞公が筆頭だったようです。 織田軍が武田領に侵攻を開始した1582年2月の時点で海津城の防備を担当しています。 関係が悪化した北条家に備えるために駿豆国境に配置換えとなった春日信達(春日虎綱の子)と入れ替わる形で、1579年に海津城代に就いたようです。 上杉家との同盟締結により国境が安定したとは言え海津城は要所なので、勝頼公から大きな信頼を得る立場だったことは間違いなさそうです。 その後は最後まで勝頼公に付き従いますが、具体的な最期の様子は不明です。「三河物語」では川端で戦死したと記されています。
~に関する情報 天香山妙善寺
住所
天香山妙善寺 に位置しています 日本、〒400-0108 山梨県甲斐市宇津谷4552 天香山妙善寺
電話
電話番号は 天香山妙善寺 は +81 551-28-2076
