北国49番 萬松山 天寧寺

📍 寺院 の 仙北市

北国49番 萬松山 天寧寺

4.8

北国49番 萬松山 天寧寺は仙北市 (日本)にあります。寺院のカテゴリで注目されており、評価は4.8です。詳細はこちらをご覧ください。

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北国49番 萬松山 天寧寺11名中6位です 寺院 の 仙北市

顧客レビュー

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北国49番 萬松山 天寧寺 評価は 3.7 ~から 5 に基づいて 32 レビュー Googleで

Ken Fujita

2024.04.23訪問。すでに桜は葉桜となっており、天寧寺(てんねんじ)は、まだ咲いている可能性があるとの事で訪問させて頂きました。場所的には、武家屋敷通りから離れているので、人通りは少ないですね。残念ながら大木の枝垂れ桜は、既に葉桜となっていました。 角館町で最も古い山門建築として貴重な事から仙北市の指定文化財に指定されています。

Ken Fujita ☆ 4/5
七面鳥放浪記

中世において会津を支配した名族で、角館藩のはじめの領主家であったものの不幸のジェットストリームアタックにより断絶した蘆名氏の菩提寺です。 そうなるに至った経緯は以下。 一.桓武平氏に連なる名族である蘆名氏が戦国時代の会津を支配する。 二.蘆名氏は会津に天寧寺を建てて菩提寺とする。 三.蘆名氏は伊達政宗に圧迫されて常陸の佐竹氏を頼るも、力およばず会津から駆逐される。会津の天寧寺は本社機能を京都に移転。 四.伊達政宗が豊臣秀吉にボコられて会津の支配権を失う。会津は蒲生氏、次いで上杉氏の所領となる。蘆名氏はガン無視。 五.蘆名氏の男系が途絶え佐竹氏から婿を迎える。この頃から実質、蘆名氏は佐竹氏の「おまけ」と見なされる。 六.関ヶ原で西軍に与した佐竹氏は常陸から秋田に減封のうえ転封される。蘆名氏も巻添えで角館に転封される。会津は加藤氏、ついで松平氏の所領となり幕末に至る。 七.角館の天寧寺が開かれて領主家の新たな菩提寺となる。本社機能も京都から角館に移される。 八.蘆名氏の当主が相次いで亡くなる。最後の正嫡となる千鶴丸は幼児の頃に天寧寺の縁側から敷石に転落して死亡、蘆名氏は断絶する。 九.角館には佐竹氏の分家(北家)が封じられる。いまに残る角館の武家屋敷は佐竹氏の時代のもの。 十.佐竹氏の菩提寺はもともと常陸にあった天徳寺なので、天寧寺は領主の菩提寺ですらなくなる。そして現在に至る。 ……なんかもう、派手に散り花を咲かせていないだけにただただ気の毒です。山田風太郎の「柳生忍法帖」では蘆名の一族が会津を掌握せんとして悪逆の限りを尽くしますが、その妄執も故なきものではありません(念のため申し上げると、山田風太郎の「忍法帖」シリーズは史実を一万倍ぐらいにふくらませた冒険活劇であり、フィクションです)。 本堂左手にある墓地の奥、冠木門の向こうには蘆名氏の滅亡を看取った人々の墓碑が並んでいます。山門をくぐるとすぐに目につく青銅阿弥陀如来坐像の台座は、千鶴丸の命を奪った敷石だとされています。 武家屋敷の立ち並ぶ通りからは外れているため観光客はまばらで、参拝する人となればほんのわずかです。誰もが楽しめるような見どころはないものの、旅する土地を知るのが旅の醍醐味ですので、角館までいらした折にはお立ち寄りをおすすめします。

七面鳥放浪記 ☆ 3/5
関清志

2023年8月17日に墓参しました。 会津を治めていた蘆名氏でしたが、天正14年1586年に19代蘆名亀王丸が疱瘡で3歳で亡くなります。幼少だった当主に嫡子が居るわけもなく、20代目の当主を誰にするかで、家中が二分される事態となりました。候補者の一人目は、伊達政宗(貞山)の弟の小次郎(伊達政道)でした。二人目は、佐竹義重の次男の結城義広です。結果的に蘆名氏は、佐竹氏との関係を重視し、わずか12歳の結城義広を当主に迎え入れます。 伊達政宗は、伊達氏との関係を軽視した蘆名氏を天正17年1589年の摺上原の戦いで攻め滅ぼしました。敗れた蘆名義広は、実家である佐竹氏のもとへ落ち延びました。 徳川の世となり、佐竹氏は、出羽(羽後)に転封されました。蘆名義広も同行して角館を治めることになりました。そのような経緯から、菩提寺であった会津の天寧寺を角館にも開くことになったそうです。 山門は、角館城から移築されたものだそうです。

関清志 ☆ 5/5
トラえもん

仙北市角館町上新町にある曹洞宗寺院です。御本尊は釈迦牟尼仏。会津若松市の天寧寺ですが、創建は室町時代の文政4年(1447)に芦名盛信が開山したのが始まりとされ、国替えにより角館へ移った際にも天寧寺が建てられました。山門は角館町で最も古い山門建築として貴重な事から仙北市指定文化財に指定されています。

トラえもん ☆ 3/5
田口敦

天寧寺(てんねいじ) 仙北市角館町上新町 曹洞宗

田口敦 ☆ 4/5
M K

観音像が印象的なお寺さん

M K ☆ 3/5
mchoukei

鎌倉~戦国時代に会津を治め、江戸初期に佐竹氏の下で角館を統治していた芦名家の菩提寺。芦名義勝(義広)とその子・孫の墓所が残る。観光地のエリアからはやや離れており、観光ガイド等にもあまり載らない場所だが、現代に残る武家屋敷の礎を築いた人物が眠る地に相応しい風格のある場所だった。

mchoukei ☆ 4/5

~に関する情報 北国49番 萬松山 天寧寺

住所

北国49番 萬松山 天寧寺 に位置しています 日本、〒014-0327 秋田県仙北市角館町上新町17 北国49番 萬松山 天寧寺

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電話番号は 北国49番 萬松山 天寧寺 は +81 187-53-2904

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