浄土真宗本願寺派(西) 浄土寺
📍 寺院 の 香取市
浄土真宗本願寺派(西) 浄土寺は香取市 (日本)にあります。寺院のカテゴリで注目されており、評価は5.0です。詳細はこちらをご覧ください。
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浄土真宗本願寺派(西) 浄土寺 評価は 4.2 ~から 5 に基づいて 18 レビュー Googleで
浄土寺(じょうどじ)は、JR佐原駅の南1.1kmほどの千葉県香取市佐原に伽藍を構える浄土真宗本願寺派の寺院です。 万治元年(1658年)小さな茅葺の小屋を建て、真宗の門徒である3、4人が集まって、み教えの道場としました。 そのうちの1人が石橋九兵衛という人で、寛永5年(1628年)河内国丹北郡西野村(現在の大阪府松原市)から佐原に移り住んで商売を営んでいました。真宗の教えに熱心な門徒で、佐原に真宗の寺がないことを大変嘆き、この地に寺を創建しようと思い立ち、京都に13回も赴き、約30年後にやっと願いがかない『浄土寺』という寺号を賜りました。 「浄土寺」という寺号は、もともと薩摩国(現在の鹿児島県)にあった寺のものです。しかしこの寺は天正8年(1580年)薩摩藩17代当主・島津義弘の弾圧に遭い、つぶされてしまいました。しかし寺号だけは、京都の西本願寺に納められていました。この薩摩の浄土寺を再建するという形で、佐原の『浄土寺』が生まれました。 安永7年(1778年)現在の本堂は、開基より120年後に建立(瓦葺木造 間口・奥行七間)され、その後、瓦葺屋根を銅板葺に、又内陣修復、格天井絵新調等々さまざまな改修を経て現在に至っています。 梵鐘・鐘楼は、1786年(天明6年)に建立されました。 昭和18年(1943年)大東亜戦争のため、梵鐘は貴重な金属として供出されてしまいます。供出時に門徒の石橋喜逸氏が梵鐘に刻まれていた浄土寺縁起が書かれた鐘銘を書き写しました。 平成20年(2008年)門徒達の懇願により再興した梵鐘に当時の鐘銘を刻み、当初の面影を偲ぶものとなりました。 平成22年(2010年)門徒の辻光雄氏の手による鐘楼の天井絵、欄間飾りが完成しました。天井は本堂と同じ、格天井となっていて千鳥格子状に、親鸞聖人の御絵伝の中に描かれている花々が、散りばめられています。欄間は4面で四季を表しており、それぞれ季節の花々や、風物が彫られています。 浄土真宗本願寺派(じょうどしんしゅうほんがんじは)は、鎌倉時代に親鸞聖人(1173〜1262年)が開いた浄土真宗の最大宗派です。京都市下京区にある「本願寺」を本山とし、通称「西本願寺(お西さん)」として親しまれています。 本派の教えは、阿弥陀如来(あみだにょらい)の「すべての人を必ず救う」という誓いを信じ、感謝の心で「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることにあります。自らの修行で悟りを開くのではなく、仏の力を信じる「他力本願」を基本とします。 本尊:は阿弥陀如来で、経典は『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経です。 焼香は、押しいただかずに、香炉に2回くべます。浄土真宗では亡くなった方は即座に仏になると考える(往生即成仏)ため、「霊」という概念がなく、葬儀等でも「冥福を祈る」という言葉は使いません。 現在は全国に約1万カ所の寺院があり、門信徒数は約700万人を超えるとされています。また、社会福祉や教育活動にも力を入れており、龍谷大学などの教育機関も運営しています。
小江戸巡りをして歩いているとたまたま浄土寺に出会いました。1658年創建の浄土真宗本願寺派の寺院。1鹿児島で廃寺となった寺号を賜ったとの事です。
父親の33回忌法事でお世話になりました。ご住職の分かりやすい説法や高齢の母親に対しての気遣いに感謝!
親戚が眠っているので度々お墓参りに伺ってます。歴史ある古い寺で住職も良い人です。
弟の菩提寺です。久しぶりに、お墓参りに行って来ました。住職さんも、とっても良い方で、お世話になっています。弟は48才という若さで、胃癌のため亡くなってしまいました。子ども3人を残して。心残りだったろうなと思います。その分、残った者達が、生きねばと思っています。いつも花を活けてくれている義弟の嫁さん、有り難とう。
広くて綺麗に保てて、良い雰囲気でした。
住職さんも家族の方もとてもいい人です。
~に関する情報 浄土真宗本願寺派(西) 浄土寺
住所
浄土真宗本願寺派(西) 浄土寺 に位置しています 日本、〒287-0003 千葉県香取市佐原イ1735 浄土真宗本願寺派(西) 浄土寺
電話
電話番号は 浄土真宗本願寺派(西) 浄土寺 は +81 478-52-2783
ウェブサイト
ウェブサイトの 浄土真宗本願寺派(西) 浄土寺 は chibaso.info
