慈丸山 心応院 聖眼寺
📍 寺院 の 桐生市
慈丸山 心応院 聖眼寺は桐生市 (日本)にあります。寺院のカテゴリで注目されており、評価は6.1です。詳細はこちらをご覧ください。
の特徴とサービス: 慈丸山 心応院 聖眼寺
設備
- トイレ
顧客レビュー
慈丸山 心応院 聖眼寺 評価は 4 ~から 5 に基づいて 41 レビュー Googleで
関東八十八ケ所霊場9番霊場の参詣で2年ほど前にお伺いした時には御本堂の大修理中で足場が掛かっていました。この度、上州三十三観音の4番札所として参詣させて頂きましたが、見事なに本堂の修復が完了していました。 古いものを大切に継承していく難しさと努力されておられるお寺様や檀家様に頭が下がります。 庫裡にて奥様から差し替えで御朱印を拝受させて頂きました。ありがとうございました。
新四国88ヵ所霊場 第45番 慈丸山 心応院 聖眼寺(しょうげんじ)[高野山真言宗] ⚫️本尊・大日如来 錦桜橋を渡り最初の錦町三丁目の信号を左折。しばらく行くと桐商があり、その先に浄水場がある。そこの元宿町の信号を左に曲り、 一つ目の角をすぐ左折すると右側にある。 境内は広く、樹齢200年以上の多羅葉、高野槙(まき)、大楓などの木々が生い茂る。 東側にこぢんまりと山門があり、その正面に昭和39年再建の本堂が建つ。左の建物は薬師堂。右には庫裏があり、ここが納経所 を兼ねている。 縁起は不詳。永正年間(1504~1521)の創設と推定される。天正元年(1573)、火災のため焼失。再興にあたった弘算法師は、天正11年(1583)高野山に登った。 このとき、高野山系の寺となり、寺名を聖眼寺とした。正保年間(1644~1648)に再び炎上。現在の伽藍はその後の再建である。 本堂の裏手は丸山砦跡になっていて、その麓に墓地が広がる。渡良瀬川が見渡せる広々とした景観に、しばし心もなごむ。 新上州33ヶ所4番、関東88ヶ所9番の各札所。《新四国88ヵ所霊場めぐりより》 山門を潜ると清々しくとても良い気が流れています。本堂は改修中でしたが、しっかりとパワーを感じられました。 本堂左手に薬師堂とお大師様像があります。お大師様像礼拝中、不思議と涙が止まりませんでした。個人的な感覚ですが、パワースポットの様に感じました。 本堂左手の庫裡にて聖眼寺と普門院の納経を頂きました。住職さんから、『新四国は回っている人がほとんど居ないから、大変でしょう?』とのお言葉を掛けて頂きました。その通りではありますが、こんな風に、納経帳に直書き対応してくれる住職さんに出会うと、感謝感激雨あられな気持ちになります( ;∀;)
「しょうげん」と読む。ちょっと澄ましたタラヨウ、颯爽としたイチョウ、慈味溢れるコウヤマキ、重厚無比で風格を辺り一面に撒き散らしているカエデ、堂々と胸を張るカシなどが並び立ち、つい時間を忘れそうになる…。ピカイチは樹齢数百年を数えるカエデ。ちなみにフレンドリーな奥方も負けじと印象に残る…。
気さくな奥様にこんにゃく作りを教えて頂きました。お料理上手でたくさんご馳走になりました。ちょうど紅葉と冬桜が見頃。ありがとうございました(^^)
元宿浄水場の裏手にある、大通りから一本入った静かな所にあるお寺。 本堂となりの、自宅兼納経所で御朱印を頂きました。¥300
関東八十八ヵ所霊場の参拝でお伺いしました。 高野山真言宗のお寺で慈丸山心応院聖眼寺といい、霊場第九番札所になります。 お寺の御本尊は大日如来です。 大永年間(年~年)の開創で御坊木に桐生城主の桐生氏から寺領八十石を与えられ伽藍を建立し寺中に六坊を持つ大寺院であったが、元亀二年(1571年)に太田金山城主の由良氏と桐生氏の間で戦が起こりこの時兵火に遭い全山を焼失してしまった、その後天正十一年(1583年)に引算法師により再興開山され天正十九年(1591年)には徳川家康公より朱印三十五石を賜った。 正保年間(1644年~1648年)に再び火災で伽藍を焼失するも間もなく再建され法灯が護られてきた。 現在の本堂は昭和四十年(1965年)に再建された建物で、境内には薬師堂があります。
慈丸山 聖眼寺 高野山真言宗 ご本尊:大日如来 関東八十八ヶ所霊場第9番 平成26年5月24日参拝 "草履のお守り"有難うございました。 紅葉の大木がありました。秋は見事だと思います。
~に関する情報 慈丸山 心応院 聖眼寺
住所
慈丸山 心応院 聖眼寺 に位置しています 日本、〒376-0027 群馬県桐生市元宿町15−19 慈丸山 心応院 聖眼寺
電話
電話番号は 慈丸山 心応院 聖眼寺 は +81 277-44-6302
ウェブサイト
ウェブサイトの 慈丸山 心応院 聖眼寺 は kiributsu.jp/hp/tutumi/shogenji/shogenji.html
