曽禰神社(曽根神社)
曽禰神社(曽根神社)は泉大津市 (日本)にあります。寺院のカテゴリで注目されており、評価は6.3です。詳細はこちらをご覧ください。
顧客レビュー
曽禰神社(曽根神社) 評価は 3.8 ~から 5 に基づいて 35 レビュー Googleで
弥生文化博物館の近く、池上曽根遺跡の駐車場の近くにあります。神社の駐車場もすぐ前にあります。 とても小さな神社ですが、古くからある雰囲気のあるいい神社で、沢山の神様がいらっしゃいました。 ご神木も立派で、神社の周りの木も立派でイキイキ! 近くにヤマモモの木もあり曽根遺跡も見るのも楽しいのでお散歩にもぴったりでした。
敷地は広大ですが、拝殿はコンパクトです。池上曽根遺跡の隣に鎮座されています。御朱印は書き入れていただけます。
ひっそりとした神社でした。 天武天皇四年(675年)に創建されたとされていて、当社は物部氏の一族である「曽禰氏」が祖神を祀ったと考えられてるみたいで、和泉国に居住していた曽禰連が奉斎したと考えられてるみたいです。 池上曽根遺跡の公園が奥に行けばありました。
曽禰神社(そねじんじゃ)。大阪府泉大津市曽根町。 式内社(小)、旧村社。 主祭神:饒速日命 伊香我色雄命(曽根連神饒速日命の六世孫) 素盞嗚尊 住吉三神 息長帯姫命 資料によると、 社伝によれば天武天皇四年(675年)に創建されたとされています。 曽禰氏の祖神を祀る。素盞嗚尊以下は後の配祀。 弥生前期の大規模遺跡である池上曽根遺跡に隣接している。神域ゆえ発掘されていないが、おそらくここからは祭祀関係の遺跡が出るものと思われる。 この遺跡の大型掘立柱建物のヒノキの柱は紀元前52年に伐採されている。 和泉には大鳥大社の北側に四ツ池遺跡もあり、その他銅鐸も出ており、弥生前期より力のある豪族の存在を思わせる。 この神社の西の海岸よりの地域を二田と言う。二田造は有力な物部一族であり『先代旧事本紀』によれば「五部造、伴領と為て天物部を率て天降り供へ奉る。」の筆頭にあげられている。この氏族の祀った国津神社の祭神は二田物部神とされている。曽根連は二田造の後裔であろう。 とあります。
延喜式神名帳の和泉國和泉郡の項に記載のある式内社。 弥生時代中期の大規模環濠集落の跡である池上曽根遺跡に隣接しています。 遺跡の広さは60万㎡(東京ドームのグランド(13,000㎡)46倍)という巨大な集落。 この神社の境内は神域ゆえに発掘調査されていませんが、弥生時代の環濠集落の祭祀の場がそのまま神社に発展したのかもしれません。 この遺跡から出土した大型建物の柱に使われている木はBC52年に伐採されたことがわかり、すぐに建物に使われたとすると、大型建物は紀元前1世紀半ばに建てられたことになります。 それまで、この大型建物の近くから出土した土器の編年からすると、紀元後1世紀中頃の遺跡だろうと考えられていたのですが、木材の年輪年代法により、100年ぐらい早くなりました。 この発見で、弥生時代がいつ頃だったのか、という議論も100年は早くなったといえる大発見だったのです。 年輪年代法、すごいです。 さて、曽禰神社は饒速日命、伊香色雄命を祀っていて、物部氏系統神社です。古代氏族の曾禰氏は物部氏の一族で、新撰姓氏録では石上と同祖、伊香色雄命の後裔である。 ちなみに、須牟地曾禰神社(大阪府堺市北区)の曾禰も曾禰氏のことでしょう。 神社の境内にある由緒案内によると、神社の合併で、二田町の村社、二田國津神社(天足彦神・二田物部神・菅原道真)を合祀したとあります。 また「式内 二田國津社」の石柱もありました。 これは統合の際に旧地から持ってきたものなのでしょう。 なお、延喜式神名帳には二田國津神社の記載はないので、「式内」の表記はおかしいですが、平安時代後期に書かれた和泉国内神名帳には記載のある古社でした。 この二田とは饒速日とともに天より降った二田造のことです。
池上曽根遺跡公園に直結している神社です
池上曽根遺跡の隣に鎮座しています。 森の中にあり静寂の中で参拝することができました。 また、近隣の方々が参拝している姿も見られました。 皆さんから親しまれている神社のようです。
~に関する情報 曽禰神社(曽根神社)
住所
曽禰神社(曽根神社) に位置しています 日本、〒595-0011 大阪府泉大津市曽根町1丁目4−8 曽禰神社(曽根神社)
電話
電話番号は 曽禰神社(曽根神社) は +81 725-21-8282
ウェブサイト
ウェブサイトの 曽禰神社(曽根神社) は osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai10shibu/izumiotsu-city/10036sonejinja.html
