犬山城

📍 寺院 の 犬山市

犬山城
8.8

犬山城は犬山市 (日本)にあります。寺院のカテゴリで注目されており、評価は8.8です。詳細はこちらをご覧ください。

の特徴とサービス: 犬山城

サービス オプション

  • 実店舗の営業

設備

  • 男女共用トイレ

決済方法

  • クレジットカード
  • 楽天ペイ
  • 交通系 IC カード

子供

  • 子ども向き

駐車場

  • 有料駐車場

犬山城52名中1位です 寺院 の 犬山市

顧客レビュー

★★★★★
★★★★★

犬山城 評価は 4.4 ~から 5 に基づいて 17924 レビュー Googleで

ウルゆー

国宝! 年末の最終日に行ってきました。 10時頃ついて待ち時間は1時間と表示がありました。実際に待った時間もそれくらいです。(帰りは11時30頃ですが90分待ちになってました) 料金を払って庭に入場した後で行列を見た瞬間嫌になって帰ろうと思ったがすでに料金を払った後、帰れない! 先に行列を見てればお金払わず帰ってましたよ、門と塀で行列隠してんだもん。商売上手! ともかく1時間待つ価値はあると思います、天守閣外の回廊から望む木曽川辺りの景色は素晴らしいです。 順番待ちもあるのでじっくり景観を楽しむゆとりはなかったかな。というか高所恐怖症で景色を楽しむどころではなかった。はやく進んで〜、もう中に戻りたい〜って感じで。でも頑張って外を一周まわりました。 冬は寒いです。城の中は靴を脱いで上がるので床の木の板が物凄く冷たく感じ、場内は当然エアコンどころか窓全開の吹きっさらしです。屋内なので日の光も差しません。凍えます でも澄んだ空気だと景色もより良いんですね〜 年末最終営業日なので混んでましたが、平日ならもう少し空いてるのかな?

ウルゆー ☆ 5/5
L

電車で近くの駅まで行き、そこから歩いて行きました。歩くのは約10分で、川沿いを歩いて地元の景色を眺めることもできます。 城の敷地内に入ると、城の中に入るのに約30分かかります。いつも長蛇の列ができているので、水と傘を忘れずにお持ちください。小さな城で、頂上からは街の他の部分も見渡せます。 晴れた日にぜひ訪れてみてください。

L ☆ 5/5
・ろくまる

何十年振りかに 犬山城に訪れました。昔からこんなに観光客いたかなと??? 天守からは小牧城・岐阜城だけだなく名古屋駅・岐阜駅の高層建築物が見え濃尾平野の大きさを感じる事が出来ました。(260215)

・ろくまる ☆ 4/5
kinu

国宝犬山城は小さくて可愛い天守があるお城で、その天守まで登ることができます。 また、はしごのように急な階段の昇り降りや天守の回廊一周を体験することができます。 天守は上から見ると結構高くて見晴らしがよかったです。回廊一周は途中で突風が吹いたらと思うと怖くなって半周だけにしました。 お城の中には鎧兜の展示もありました。 城下町は観光地化されて食べ歩きなどができます。京都にも同じような観光地がありますが、京都よりも観光客が少なくて快適でよかったです。

kinu ☆ 5/5
787B

貴重な現存12天守の中で最も古いとされているお城です 天守自体はそこまで大きくはないですが、国宝といわれているお城なので人が混む時間帯は入城するのも行列が出来るほどです 天守の頂上から眺める犬山市の景色は絶景なのでぜひ訪れてみてください!

787B ☆ 5/5
アル・デニロー

わかりやすく犬山城の歴史と感想を ●歴史● ・1537年 織田信康(信長の叔父)により築城 木之下城の城郭を移築 ・織田信長 1564年に犬山城を攻め落とし織田信清を追放する(尾張統一) ・豊臣秀吉 1584年の小牧・長久手の戦いで犬山城を本城とした ・徳川家康 1600年の関ヶ原の戦い後に犬山城は家康家の支配下となる ・1935年 天守が国宝指定 ・2019年 令和の大修復が完了 ●感想● 平日9時に訪問しました 天守閣の階段で混雑が発生するため、9-10時のたった1時間でかなり混むし中国人が増えて騒々しくなります 静かに周りたいとか画角に他人を入れたくないのであれば9時から行くと良いです 眺望が結構怖いです 床板が微妙に外側に斜めになっているのもあるがシンプルに高さがある 高所恐怖症ではありますが城に登って怖さを感じたのは犬山城だけです 天井のカーブに沿って木材をしならせる技術が凄かったです 白壁は全て綺麗に塗り直されていたけれど、個人的には松本城のように壁の汚れから先人達の痕跡を近くに感じたかったなぁと

アル・デニロー ☆ 5/5
剛一

日本100名城 No.43 スタンプは城郭内本丸鉄門の2階にて押印可。 応仁の乱の際に、織田伊勢守家が築いた砦を拡張する形で、織田弾正忠家の信康が1537年に築城した事に始まる。この際に、現存する天守の2階部分まで造られたとされる。 本丸の背後は木曽川によって守られる後堅固の構えとし南方向へ、杉の丸・樅の丸・桐の丸・松の丸を連郭式に並べた縄張りで築城される。 信康が加納口の戦いで戦死すると、子の信清が城主となる。同じく織田弾正忠家の信長が織田伊勢守家の信賢と対立した際には信清は一貫して信長方に着くものの最終的には信賢の旧領地を巡り対立。桶狭間の戦いで信長が実質的に尾張の権益を持つようになった後にも抵抗を続ける。しかし信長が小牧山城を築き入城。圧迫を加えられた周辺武将は次々に信長方に加わり、当城も落城。(信清は甲斐国へと逃れ、武田家の許で庇護を受けるた際には姓を「犬山」とした) その後は重臣の池田恒興が城主となっており、美濃と尾張の国境に接する当城が、美濃攻略の上で重要拠点となった事が伺える。 その後、信長の五男の勝長が入城するなどした後に本能寺の変が起こり、信長の次男の信雄が入城。 しかし、小牧・長久手の戦いの際に信雄が奇襲を仕掛けられ当城は豊臣方に奪取される。この際、奇襲をしかけたのは奇しくも池田恒興であった。こうして、当城は豊臣方の最前拠点として小牧山城の徳川方と対峙する。 小牧・長久手の戦いが豊臣秀吉の実質的な勝利に終わると、秀吉の養子、秀次の領地となり実父の三好吉房が城代となる。その秀次が謀反の疑いをかけられ切腹すると、譜代の石川貞清が城主となる。 関ヶ原の戦いの際には、岐阜城と共に西軍の拠点となり、稲葉氏や竹中氏らが附属されるものの、多方が調略により東軍に移ってしまう。一方で城主の貞清は西軍として関ヶ原に参じ敗北(貞清自身も上記の調略の際に東軍に寝返り西軍の情報を流していたものの、関ヶ原本戦で西軍離脱の機会を失い西軍として参加せざるを得なかったとする説もある)。 貞清自身は助命されるものの隠棲する事となり、城主は小笠原吉次へと移る(ちなみに貞清は晩年に幕府家人に返り咲いている)。 その後は徳川家譜代の平岩氏が城主となった後、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となる。現在の天守3階及び4階部分はこの正成により増築されたもの。 江戸時代を通して成瀬家の居城としてあり続けるも明治期に入ると天守を除き殆どの建物が破却されるものの天守そのものは2004年に至るまで成瀬家により所有され続け、世にも珍しい個人所有の天守であった。現在は、財団法人犬山白帝文庫の所有となっている。 現存する天守はそれほど大きくはないが、東面正面には入母屋破風、3階の南北には唐破風、4階には華頭窓が付されており意匠的で国宝となるのも納得がいくというもの。 野面積の天守台石垣は最大5mあり、これもまた見所である。 しかし、天守以外の遺構が殆ど明治期に破却されており、現存物が極端に少なくまた、縄張りも窺い知れない事は非常に残念。 城好きにとってはやや物足りない部分もあるかもしれないが、天守は戦国時代から江戸時代にかけての様々な歴史に絡んできておりそれらの生き証人であり、見飽きる事なき美しさであり、この為に来る価値のあるもの。また、天気が良ければ天守4階からは、岐阜城や小牧山城が眺められ、前述した歴史に浸れる貴重な空間となる。 時間があれば木曽川対岸側から眺めてみるのも一興である。

剛一 ☆ 4/5

~に関する情報 犬山城

住所

犬山城 に位置しています 日本、〒484-0082 愛知県犬山市犬山北古券65−2 犬山城

電話

電話番号は 犬山城 は +81 568-61-1711

ウェブサイト

ウェブサイトの 犬山城 は inuyama-castle.jp

営業時間

月曜日: 9時00分~17時00分
火曜日: 9時00分~17時00分
水曜日: 9時00分~17時00分
木曜日: 9時00分~17時00分
金曜日: 9時00分~17時00分
土曜日: 9時00分~17時00分
日曜日: 9時00分~17時00分

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