彦根藩井伊家墓所
彦根藩井伊家墓所は世田谷区 (日本)にあります。霊園のカテゴリで注目されており、評価は7.7です。詳細はこちらをご覧ください。
顧客レビュー
彦根藩井伊家墓所 評価は 4.3 ~から 5 に基づいて 10 レビュー Googleで
流石に井伊家 この墓域の広さを見てごらん 豪徳寺との縁は二代直孝に始まり、櫻田門外の直弼墓所もこちらにある その昔、豪徳寺の飼い猫が彦根藩二代藩主 井伊直孝を招き入れた事により、直孝が雨宿りしていた木に落雷する難を避けた事が契機で、寺と井伊家の関係が出来た 一応これが招き猫の由来なわけですがね そりゃ井伊家が檀越になれば寄進額は巨額だし、本山にも幅を利かせられるし、寺格も上がるし、寺の経営は安泰だもの ふんぞり返った坊主が目に浮かぶわ お猫様々ですよ 時は下り、現在はインバウンド需要で外国人観光客に高額な招き猫が飛ぶように売れている 見事な売僧ぶり 余談 豪徳寺は曹洞宗 曹洞宗開祖の道元禅師は時の権力と繋がるのを嫌い、権力を避けるように都から離れた僻地である越前の山奥に永平寺を開山したのです 道元禅師の清廉潔白さは何処へ? 曹洞宗の魅力は潔白さなのにね
国指定史跡/彦根井伊家墓所、流石、墓所域内が綺麗に整備されていて、凄く身近に参拝出来て有り難かったです、直ぐ際まで行って墓石が見れたのは良い方に意外でした 江戸時代初期の難しい時期を乗り切った庶子からの藩主/直孝、世子/直継は安中藩、家康と木俣守勝の判断でしょうか⁉️ 複雑な初期の彦根井伊家の内情、難しい
豪徳寺にある彦根藩主井伊家墓所は広大な敷地に大型の墓石が整然と並ぶ、都内でも屈指の大名墓です。2代藩主直孝をはじめとして、13代藩主直弼など6人の藩主に加え、江戸で暮らした正室や側室、子息子女らが埋葬されています。また、北側の一角には藩士の墓石も置かれ、合計で303基にのぼります。 井伊家墓所は国元である滋賀県彦根市の清凉寺、4代藩主が眠る同県東近江市の永源寺にもあり、豪徳寺 とあわせて3カ所の墓所が同時に国の史跡になりました。
2代、6代、9代、10代、13代、14代の彦根藩主井伊家の藩主及び早生した子息、子女の墓所です。江戸で亡くなった藩士の家族のお墓もあるそうです。 墓所の北西角に豪徳寺中興開基の2代直孝のお墓があります。 2代直孝は大阪夏の陣で功績をあげ、徳川秀忠の臨終の際には「大政参与」という役職に就いて、家光の後見に任じられますが、これが大老職の始まりの職と言われています。 近江国、下野国、武蔵国世田谷にあわせて30万石を有する譜代大名の筆頭格になりました。 そこから南西に直進したところに日米修好通商条約に調印、安政の大獄を断行、その反動で桜田門外の変で暗殺された13代大老井伊直弼のお墓がありました。 井伊家の墓所は豪徳寺の他に清凉寺(滋賀県彦根市)、永源寺(滋賀県東近江市)の三ヶ所に歴代藩主とその家族が埋葬されています。それらを一括して、「彦根藩主井伊家墓所」として平成20年3月28日国史跡に指定されました。
流石に大大名なだけあって墓所も広大です。歴代藩主やその奥方達はみな笠塔婆の墓になっており、やはり各大名家ごとに墓石にも個性が出ています(例えば、中野の成願寺にある鍋島家の墓は五輪塔形式)。 勿論井伊直弼の墓もあり、お参りしましたが、周りの笠塔婆とほぼ同形であり、殆ど違いは見られませんでした。また直弼の墓の後ろには、同じく桜田門外の変で死亡した彦根藩士8人の慰霊碑「桜田殉難八士之碑」や直弼の37回忌を記念して在京彦根青年会が造った石碑なども建っています。 この他、子供のお墓は観音菩薩や地蔵菩薩の舟形の場合もありましたが、庶民とは違って果たして大きく豪華なものでした。 更に江戸時代後期型の宝篋印塔も造立されており、外面にはこの塔に礼拝すればこれまでの罪科は消える旨の文章が刻まれています。井伊家のような権門勢家でも、後生に恐れがあったということでしょう。
2代藩主井伊直孝をはじめ、13代藩主井伊直弼など6人の藩主に加え、江戸で暮らした正室や側室、子息子女らが埋葬されているそうです。
静かな雰囲気
~に関する情報 彦根藩井伊家墓所
住所
彦根藩井伊家墓所 に位置しています 日本、〒154-0021 東京都世田谷区豪徳寺2丁目24 彦根藩井伊家墓所
