北条氏政・氏照の墓所
北条氏政・氏照の墓所は小田原市 (日本)にあります。霊園のカテゴリで注目されており、評価は6.6です。詳細はこちらをご覧ください。
顧客レビュー
北条氏政・氏照の墓所 評価は 3.9 ~から 5 に基づいて 75 レビュー Googleで
小田原合戦の責任を取って自害させられた4代氏政と弟氏照 (八王子城主)は、この場所にあった伝心庵に葬られました。 後に伝心庵は移転し、墓は放置されてしまいましたが、稲葉氏の時代に、追福のために作り直されました。 しかし、それも関東大震災で埋没し不明となったため、翌年地元の有志によって復興されました。 墓地内には、五輪塔、笠塔婆型墓碑、石灯籠や、氏政・氏照がこの石上で自害したと伝わる生害石があります。
このお墓は北条氏の栄華を見届けた北条氏政の矜持が込められてるような気がするよなー それにしても…北条氏滅亡後(正しくは北条氏は滅亡しておりません!大阪の南河内に1万石の領地を得て徳川政権下の小大名として明治維新を迎えております)の小田原のこのお墓はしばらく放置状態にあり、後に小田原藩により再建されたが関東大震災により再び倒壊の上行方不明 このようにとんでもなく波乱万丈に富んだ経歴をもつお墓やねんけど… なんでそこに氏政が自害されたと伝わる石座が残ってるんでしょ 謎やなー
9月14日(日)に訪問しました。 市街地の中にひっそりとまつられています。 道路から数段の石段を上がると、狭い中にも秩序だてて、右から氏政の妻、氏政、氏照の墓になります。 現代と歴史が入り混じっているような気がしする場所です。
豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏は敗北し、4代目の氏政とその弟、妻は自害しました。 その墓がここにあります。 この墓には鈴が多くあります。 小田原攻めでは民のことを考えて敗北を認めた北条氏になぞらえ、近隣の店で鈴を買い、願いが叶ってこの地に鈴を結ぶことで2人も安らかに眠れる、というお話のようです。
GWのお祭りの時期に小田原に誘われる様にフラッと来たら5/3だけがお祭りだと思っていたので5/3〜5までお祭りだったことに大感激!!お墓には行ってみたかったけどツイツイ第1優先ではなく後回しにしていたけど松原神社とこちらのお墓に今日は導かれてるんだなって思い時間的にも明るい時間だったし駅から近いしご飯どころを探しながら行くかって気持ちで行ってみた!おしゃれ横丁?おしゃれ通り?みたいな細い路地を御神輿が練り歩いていて、そこを追いて行くかのように彷徨っていると鈴のついた一角があり階段を登ると、こちらのお墓がありました。こちらの事を調べると 小田原合戦の責任を取って自害させられた4代氏政と弟氏照 (八王子城主)は、この場所にあった伝心庵に葬られました。後に伝心庵は移転し、墓は放置されてしまいましたが、稲葉氏の時代に、追福のために作り直されました。しかし、それも関東大震災で埋没し不明となったため、翌年地元の有志によって復興されました。 墓地内には、五輪塔、笠塔婆型墓碑、石灯籠や、氏政・氏照がこの石上で自害したと伝わる生害石があります。ということでした。 伝心庵はお墓も一緒に連れて行って欲しかったなぁと思ってしまった。将門や道真のようにならなくて良かった。小田原をいつまでも守っていてほしいです。海辺の土地なので津波等に見舞われない様に、、、 そして、鈴は周囲のお店でスタンプラリーをしていて鈴を頂く事が出来ました。願い事が叶ったら鈴をつけに帰ってきたいと思います。木に覆われたり、奥に追いやられたりしているところでなくてよかった。明るくて良いところですよ。小さい一角ですが皆さん五代祭りの時だけでも立ち寄って思い出してもらうとよいですね。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原攻めにより、5代目当主・氏直は高野山に追放され、4代目当主・氏政とその弟・氏照は、責任を負い自害しました。 二人は、当時この地に在った北条氏の氏寺・伝心庵に葬られましたが、その後伝心庵は移転し墓は放置されていました。 江戸時代になり当地を治めた稲葉氏により再建されましたが、関東大震災により埋没倒壊し、不明となっていましたが、地元有志により復興され、現在に至っています。 墓所内には、五輪塔・笠塔婆型墓碑・石灯籠と、氏政・氏照二人がこの石の上で自害したと伝わる生涯石が在り、五輪塔の右から【氏政夫人】【氏政】【氏照】の墓と云われています。 江戸時代稲葉氏が再建した笠塔婆型墓碑には、氏政・氏照二人の戒名が下記の様に刻まれています。 【北条氏政】 滋雲院殿勝岩傑公大居士 天正十八年庚寅年七月十一日 北條相模守氏政 【北条氏照】 青口院殿透岳關公大居士 北條陸奥守氏照 天正十八年庚寅年七月十一日 この墓所には、【幸せの鈴】と呼ばれている鈴が有り、墓所に置かれている鈴に【願】を掛けて鈴を持ち帰り、願が叶ったら鈴を返しに訪れると云われ、願が叶うパワースポットになっています。 余談ですが 歴史上、北条氏4代目当主・氏政は、一般的には傲慢で為政者として無能であったと云われていますが、北条氏領内は、他国と比較し年貢が【4公6民(領主4割農民6割)】と、当時としては異例の徴収率であり、民政もしっかりと安定し、領民からも敬愛されていたと伝わっています。 この事を考えると歴史を【History】と言う事から【His-story】つまり、勝者の物語でもあるのでは? 【追記】 現在、幸せの鈴は近くの商店街で購入する事になっています。 以前は、墓所に設置されていた箱の中に入れてあったのですが、一部の不届き者が全て持ち去る事が度々有ったので、非常に残念な事です。
北条氏政公、氏政公の妻、氏照公の墓所 当時から地元の方々には特別に愛されていた北条氏 初代小田原城主 北条早雲公が四国より永安の地を求め 小田原にたどり着いたと言われていて 荒れ果てた小田原の地を地元住民と共に汗をかき耕し、開拓していった 年貢等の徴収率も 農民4 国6 という 当時では有り得ない徴収方法で信頼を得たと聞きます その早雲公から始まり5代将軍氏直で滅亡に至るわけですが… なぜ4代目 北条氏政公は豊臣軍に形だけでも降伏し滅亡の危機を回避されなかったのか? ドラマ真田丸等にも出てますがやはりプライドだったのかも知れませんね? 傲慢な性格はあったにせよ戦さ上手、国民からはかなり愛されていたのに… 背負った分、敵にはひれふす事が出来なかったのかな? とか勝手に想像しながら参拝しました 幸せの鈴を結ぶと… たまたまでしょうか? 鈴が置き場に空で… 結ぶ事が出来ませんでした 残念(ーдー) 墓石手前の真ん中に平たい大きな石が有りますが、その石の上で自刀したと伝えられてるそうです 少し切なく悲しい印象をうけました(*T^T) 小田原城に行くなら是非行って欲しい場所です
~に関する情報 北条氏政・氏照の墓所
住所
北条氏政・氏照の墓所 に位置しています 日本、〒250-0011 神奈川県小田原市栄町2丁目7−8 北条氏政・氏照の墓所
電話
電話番号は 北条氏政・氏照の墓所 は +81 465-33-1521
ウェブサイト
ウェブサイトの 北条氏政・氏照の墓所 は city.odawara.kanagawa.jp/kanko/corridor/castle/p10000.html
営業時間
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