林氏墓地

📍 霊園 の 新宿区

林氏墓地
6.0

林氏墓地は新宿区 (日本)にあります。霊園のカテゴリで注目されており、評価は6.0です。詳細はこちらをご覧ください。

林氏墓地8名中5位です 霊園 の 新宿区

顧客レビュー

★★★★★
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林氏墓地 評価は 3.6 ~から 5 に基づいて 19 レビュー Googleで

高橋正和

東京文化財ウィーク2025で今年も公開されました。1年で3日しか公開されない「林氏墓地」ですが、壁越しでは中はなかなか分からないので、楽しみに行ってきました。 109坪の「林氏墓地」の敷地内には、現在でも81基の墓石が立っています。また、初代羅山、2代鵞峰の墓も他所からこちらの墓所に移されています。また、8代述斎、9代檉宇、10代壮軒、11代復斎のお墓は儒葬の形式を留めています。 林羅山、林鵞峰の後、新井白石や荻生徂徠の他の儒家により幕政の中心から遠ざかりますが、中興の祖と呼ばれる8代述斎により、林家が政治の中枢に復帰していたことも知り驚きました。 年3日しか公開されない「林氏墓地」ですが、儒葬の形式のお墓は他では見ることはできないので、珍しいお墓を見ることができます。

高橋正和 ☆ 5/5
Tadashi Sasaki (wondersmiths)

気になってた場所 ここは何なんだろ? と思ってた #史跡林氏墓地 今日通ったらたまたま #特別公開 されてた! 徳川に仕えた #朱子学者 #林氏 の歴代の墓地らしい #儒葬 による #埋葬様式 の珍しい墓地らしい たまたまだけど、良かった観れて

Tadashi Sasaki (wondersmiths) ☆ 3/5
五十嵐正臣

中には入れませんでした。 説明板には下のように書かれていました。 林氏、一世羅山が朱子学をもって徳川家康に仕え、以来すぐれた儒学者が続き、代々幕府の学制を司る家柄であった。 墓地は、上野忍ヶ岡にあったが、元禄十一年(1698)三世鳳岡の時この牛込の地を賜り、移設された。現在の墓地は次第に縮小されたもので、儒葬による埋葬様式をとどめているのは八世から十一世までの墓のみであるが、現存する希小な遺例として貴重である。この墓地には十二代の代々の当主の他、その家族など八十一基の墓碑等が林立している。 昭和五十年(1975)3月から墓地の適正な管理保全を期するため、新宿区の所有とした。これに伴い区では、墓地内の修理と環境整備を行い同時にぢん塾区文化財調査により墓地の調査を実施し、これらの調査記録を、「国民跡林氏墓地調査報告書」として刊行した。 毎年11月初旬の文化財保護強調週間には、墓地の一般公開を行っている。

五十嵐正臣 ☆ 3/5
原和

『林氏墓地(国指定史跡)』は、江戸時代、朱子学をもって幕府に仕えた林羅山とその一族・子孫の墓地です。 元禄11年(1698年)3世鳳岡の時に拝領した屋敷地の一部に造営されました。 現在の墓地は次第に縮小されたもので、儒葬による埋葬様式をとどめているのは8世述斎から11世復斎までの4基の墓のみですが、現存する希少な遺例として貴重です。 この墓地には12代の代々の当主の他、その家族など81基の墓碑等が林立しています。

原和 ☆ 5/5
Kaoru Hayashi

私の父方の祖父が眠っております。過日何十年ぶりに、墓参いたしました。

Kaoru Hayashi ☆ 5/5
Takeshi Kawaguchi

徳川幕府の官学になった朱子学の宗家である林家歴代の墓地です。国史跡です。入り組んだ住宅街の奥の、ちょっと分かりにくい所に有ります。 儒教の礼式による墓は貴重だそうです。墓地は明治以降次第に縮小され、荒廃していたものを昭和50年に新宿区の所有になって以後、調査及び環境整備されました。81基の墓碑等が有ります。毎年11月に公開され、ボランティアの方が説明してくださいます。 一世林羅山の説明文では、方広寺の鐘銘問題で豊臣家を窮地に追い込む読み方をしたことが記載されています。徳川家に重用されたのももっともでしょう。 11月の公開日以外は入れませんが、道路沿いの壁に透かし窓が有り、いつでも中を見る事ができます。

Takeshi Kawaguchi ☆ 3/5
Octopus TIAN

年に一度の特別公開 徳川幕府に、儒学思想の一つである朱子学をもって仕えた、儒学者林羅山とその一族の墓81基が保存されています。8代述斎から11代復斎までの4基の墓は儒葬の形式を留めており、貴重な文化遺産です。

Octopus TIAN ☆ 5/5

~に関する情報 林氏墓地

住所

林氏墓地 に位置しています 日本、〒162-0857 東京都新宿区市谷山伏町1−15 林氏墓地

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