官軍墓地(花岡山陸軍埋葬地)
顧客レビュー
官軍墓地(花岡山陸軍埋葬地) 評価は 4.1 ~から 5 に基づいて 15 レビュー Googleで
一時期は放置で草むして荒れ放題でしたけど、だいぶ整備された方ですよ。 真ん中から折れた跡がある墓石が多々あり、熊本地震の影響か肝試しの連中がやったのか?不明ですけど、もしそうなら浅はか過ぎる行為だわな?
田原坂にも官軍・薩軍の墓地はありますが、ここ花岡山にもありました。多数の軍人・軍属が眠っておられますが、階級ごとに墓の大きさが違うのが当時の状況を教えてくれます。余談ですが、警察官などの慰霊塔はさらに下段にあり、大きさも小さく、やっぱり軍隊が幅を利かせていたのだなと思いました。一応その写真も添付しておきます。
同墓地には明治9年の神風連の乱で犠牲になった方々の他にも、明治10年の西南戦争関連で亡くなった、県吏で熊本県八等属・青山輝正と東京三等巡査・今井武の官軍墓地も有ります。 青山は静岡県出身。戦端が開かれる前に熊本城に入り籠城するも、城を包囲する薩軍により外部との通信網を断たれたため、権令•富岡敬明の命により、城内の逼迫した状況を東京と京都に向けて電報を打つべく任務を携え、明治10年2月24日熊本城を脱出。一番近い久留米の電信局へ向かう途中で敵に見つかり、同26日殺害されました。享年35歳。 今井は新潟県出身の旧長岡藩士で、明治8年に東京警視局の四等巡査に。明治10年4月、大警部・平山清寧に率られ熊本入り。配属先の八代警視分署で病気に罹り、同年10月7日熊本警視病院で36年の生涯を閉じた様です(死後に三等へ昇進したのでしょうか?)。 (正面) 青山輝正之墓 (背面) 輝正静岡県人 任熊本県八等族 丁丑之 乱興富岡権令在城中奉命赴久留米 電報東西京 途遇賊以二月二十六日遂為 其所害享年三十五 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー (正面) 東京三等巡査今井武墓 (背面) 今井君者新潟県士族而旧長岡藩士也 明治八年八月於東京警視局拝四等巡 査之命 同十年四月西討之役従大警部 平山清寧到于熊本県後転八代之警視 分署 十月七日罹于病於熊本警視病院 没春秋三十有六也 嗚呼悲哉同県士 族不肖之甥須佐友八建焉
まだまだ整備がいきとどいてないのが残念ですが。神風連の乱が変になっているのが肝です。興味のある方はお調べを。参考に新開大神宮のホームページを、、、。
熊本県の高校としては初の外国人教師で、熊本商業の生徒に野球を伝えたことで有名なダニエル・S・マーフィー氏のお墓があります。
神風連の乱で犠牲になった官軍犠牲者が眠る墓地。熊本城長官だった種田司令長官の碑など、多くの石碑が見られます。墓地の奥には歩兵11旅団の初代旅団長として熊本に赴任していた乃木希典の早逝した娘、恒子の墓もあります。ここには西南の役に薩摩軍の砲台が置かれていましたが、弾は熊本城まで届かなかったそうです。 ここの墓地は西南の役以降荒廃してしまったそうですが、第二次世界大戦後に有志が整備して今では熊本市の史跡に指定されています。
西南の役がらみの墓地で、熊本・宮崎・鹿児島各県には、よくある墓地です。 一昔よりは整備されてますから、見学しやすくなってます。
~に関する情報 官軍墓地(花岡山陸軍埋葬地)
住所
官軍墓地(花岡山陸軍埋葬地) に位置しています 日本、〒860-0046 熊本県熊本市西区横手2丁目13 官軍墓地(花岡山陸軍埋葬地)
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