石上寺
顧客レビュー
石上寺 評価は 3.6 ~から 5 に基づいて 18 レビュー Googleで
新築ホヤホヤで、斬新な外観にホホウと目が釘付けになるが、馴れてしまえば違和感はない。寺にありがちな重々しや線香臭さはないにもかかわらず、どことなく厳粛な空気が漂っている。本堂の周辺には樹木が全くないが、離れた場所にある山門のそばにドウタンツツジの巨木がある。西側に三ツ寺公園が隣接している。、
大変いい人のあるお寺だと勉強させられました。
ここってどこにお寺があるんですか⁉️入口だけお寺っぽいけど、その先は廃墟(° 口°'I|') ガーン⁉️あはは 。
今年は新盆。住職が自宅に来てお経をあげるとの事で、事前に時間が決まっていたにもかかわらず、1時間前に突然やって来た! 家の者も、居間で過ごしていたため気づかず、まだ親戚達も集まってない中、留守の家に上がりこみ勝手にお経をあげ帰るところに気づき慌てて声をかけた。 だったら時間指定しなければいいのに!!と親戚一同は大激怒!!血の気の多い若い衆をなだめるのも一苦労。 代替わりして、今の住職は先代よりも評判が悪いと聞いていたが、どうやら本当だったようだ。 なにより、仏様が可哀想でならない。
戦国時代、箕輪城にあって勇名を轟かせた長野氏は、城の鬼門除けに石上寺(せきじょうじ)を建て、石上(いそのかみ)神社を祭りました。 石上とは古代の石上氏(いそのかみうじ)のことで、これはイコール物部氏のことだそうです。 長野氏は在原業平を祖先としており、そのまた祖先は物部氏であったとしています。 のちに箕輪城主となった井伊直政が、高崎に新しい城を築いた際、ともに移転してきたといいます。 もともとは鞘町にありましたが、明治になって、こちらに移って来ました。 幕末、鞘町の石上寺は官軍の中山道先鋒総督、岩倉具定の本陣が置かれました。 高崎藩最後の藩主であった松平輝聲公は、徳川家と運命を共にすると決意していましたが、重臣に説得されて断念。東進して来た官軍に、この石上寺を本陣として提供するとともに、銃二十丁、弾薬二千発、金一万両を献じました。 さぞ、悔しかったろうと思います(^_^;) なお、このお寺の西側には、およそ五千坪余の広さを持つ、江戸時代の溜池があります。 慶安二年(一六四九年)高崎藩主であった安藤対馬守は、延べ五万人の人足を動員し、乗附山から粘土を運び出し、中島川をせき止めて堤を築き、この広大な溜池を造成しました。 これによって三ツ寺、棟高、中泉三ヵ村の水田二十町歩余りが開かれました。 のちに、この辺りが「堤ヶ岡村」と命名されたのも、この溜池によるものです。 いまは緑溢れる公園として整備され、この池には白鳥の形をしたボートが浮かんでいます(^_^ゞ
檀家専用のお寺みたいです。
本殿が新築されてて、 とても素敵な本殿でした。
~に関する情報 石上寺
住所
石上寺 に位置しています 日本、〒370-3525 群馬県高崎市三ツ寺町64 石上寺
電話
電話番号は 石上寺 は +81 27-373-1468
ウェブサイト
ウェブサイトの 石上寺 は sekijouji.or.jp
