日蓮宗宗門史跡 長栄山本国寺

📍 寺院 の 身延町

日蓮宗宗門史跡 長栄山本国寺

4.3

日蓮宗宗門史跡 長栄山本国寺は身延町 (日本)にあります。寺院のカテゴリで注目されており、評価は4.3です。詳細はこちらをご覧ください。

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日蓮宗宗門史跡 長栄山本国寺 評価は 3.9 ~から 5 に基づいて 36 レビュー Googleで

traveller DEEP

国の天然記念物である超巨大なお葉付き銀杏が有名な寺院。 日蓮聖人が弘安五年(1282年)秋に身延を下りて池上に向かう途中に立ち寄ったとされる寺院であり、元々は文応元年(1260年)にこの下山の地頭である下山兵庫五郎光基(しもやまひょうごごろうみつもと)が下山城内に建てた平泉寺という阿弥陀仏を祀る念仏の持仏堂が起源であるとのことである。 この下山という土地は、鎌倉時代に於いては甲斐国巨摩郡下山郷といい、その地頭であった下山光基が領土を治めており、聖人の下山御消息にも登場する人物である。 建治3年(1277年)6月、日蓮聖人の門下に加わった因幡房(いなばぼう)日永が、その地頭の下山光基の持仏堂でもあったこの平泉寺から追放されてしまった為、日蓮聖人が因幡房に変わって弁明書を代筆し、それを下山光基に送ったのが下山抄である。 元々この平泉寺の住僧であった因幡房日永は念仏の僧侶であったのだが、日蓮聖人の弟子である日興上人の折伏を受けて、念仏の邪義を捨てて法華経に帰依し、平泉寺内で法華経如来寿量品を読誦するようになった。 しかしそれを聞いた念仏の強信者であった下山光基は怒り狂い、因幡房を平泉寺から追放してしまった。 そこで事情を聞いた日蓮聖人が建治三年(1277年)に下山光基に対して下山御消息を執筆されたのである。 この下山抄は、まず仏教流布の歴史を説明し、仏教の中ではことに法華経こそが最重要であることを説かれ、そして法華経を広めるには必ず三類の強敵が競い起こることを示されている。 その法華流布の迫害の中に法華経を身読された日蓮聖人こそが、末法にあっての「教主釈尊より大事なる行者」であることも示されている。 「甲斐国志」によると、下山氏は甲斐源氏であり、加賀美遠光の長子である秋山光朝の子、下山小太郎光重が下山氏の祖であると言われている。 その光重の子である光基が日蓮聖人の時代に於いて、この地に屋敷を構えて領土を治めていた。 後に光基は日蓮聖人に深く帰依し、その屋敷をそのまま寺(本国寺)として供養し、弘安6年(1283年)に没している。 下山抄は日蓮聖人が55歳の時に書かれた書状であり、未だ法華経に対して誤解を抱いていた光基への諌暁の書でもあるといえる。 念仏の行者であった光基が、阿弥陀仏を本尊として平泉寺を建立し、それを因幡房日永に護らせていたのだが、因幡房が念仏を捨てて法華経に帰依してしまった為に光基は大いに怒り狂った。 その怒りを解くために、日蓮聖人が因幡房日永にかわって弁明の書状を書く。 この書状は弁明の書である為、折伏の攻撃性はやや柔和に説かれており、破折屈伏というよりは相手の誤解を砕いて説得しようとする熱意と慈悲が読み取れる書でもある。 実際に光基はこの書状がきっかけとなって誤解が解け、日蓮聖人に帰依するようになった。 この書状は、仏教経典の中では法華経こそが唯一の成仏の経典であることを解説するのみにならず、日蓮聖人が法華経流布の為に生涯に被った大難の数々を懐古し、そしてその迫害にもめげずに法華経を受持してきたのは、ひとえに日本国の為、全人類の成仏を願う思いからであるという力強い一念心が込められている。 今の時代は末法の時代であり、末法の時代こそ法華経を重じる時であるのに、人々は無知な故にかえって法華経を貶めているー それは法華経の行者である私(日蓮)がたびたび命を狙われたことにもあらわれているー その為に本来守護する筈の諸々の諸天、諸仏、諸菩薩等はこの国に愛想をつかしこの国を去り、外国をして日本国を攻め滅ぼさせようとしているー そして今まさに蒙古襲来があったではないかー このままでは日本は滅びてしまうー そうさせないためには、法華経を受持して真の仏道を実践する以外ないー 日本のあらゆる人々は職業も階級も関係なく、念仏、真言、禅・律等の力無き爾前・ 迹門の謗法を捨てて、法華経に帰依すべきであるー このように法華経を前面に立てた上で、日蓮聖人は単に法華経の一行者にとどまらず、日本国の救世主である、という自覚も語られている。 その内容は 「予は日本国の人々には、上天子より下万民に至るまで三の故あり。一には父母なり。二には師匠なり。三には主君のお使いなり」 という言葉があり、さらには 「教主釈尊よりも大事なる行者」 という言葉にまで覚悟が高まる。 もっともその大事さは、今危機に瀕している日本にとってという意味であり、日蓮聖人がすべての仏教徒に対して釈尊よりも位が高くて偉いんだということではない。 残念なことに日蓮聖人の信者の中に、この聖人の言葉尻を悪用して、日蓮本仏論の根拠とし、下種の本仏だの久遠元初の本仏だのと大風呂敷を広げる宗派も存在しているが、教主釈尊を捨てて他仏や他神を拝むことを随所で否定している日蓮聖人が、そのようなことを一文書の下山抄の文底に秘められるわけがない。 念仏無間地獄抄には 「現在の父たる教主釈尊を捨てて他人たる阿弥陀仏を信ずる故に、五逆罪の咎によって必ず無間大城に堕つべきなり」 一谷入道御書には 「この国の人々は、一人もなく教主釈尊の御弟子・御民ぞかし。しかるに、阿弥陀等の他仏を一仏もつくらずかかず念仏も申さずある者は、悪人なれども、釈迦仏を捨て奉る色はいまだ顕れず。一向に阿弥陀仏を念ずる人々は、既に釈迦仏を捨て奉る色顕然なり。彼の人々のはかなき念仏を申す者は悪人にてあるぞかし。父母にもあらず主君・師匠にてもおわせぬ仏をば、いとおしき妻のようにもてなし、現に国主・父母・明師たる釈迦仏を捨てて、乳母のごとくなる法華経をば口にも誦し奉らず。これあに不孝の者にあらずや。」 四条金吾殿御返事には 「されば釈迦仏は賞罰ただしき仏なり。上に挙ぐる三代の帝並びに二人の臣下、釈迦如来の敵とならせ給いて、今生は空しく、後生は悪道に堕ちぬ。 今の代も又これにかはるべからず。漢土の道士信・費等、日本の守屋等は、漢土・日本の大小の神祇を信用して、教主釈尊の御敵となりしかば、神は仏に随い奉り、行者は皆ほろびぬ。今の代も此くの如し。上に挙ぐる所の百済国の仏は教主釈尊なり。名を阿弥陀仏と云って、日本国をたぼらかして釈尊を他仏にかへたり。神と仏と仏と仏との差別こそあれども、釈尊をすつる心はただ一つなり。されば今の代の滅せん事又疑いなかるべし」 まさに日蓮聖人の御言葉を借りれば 「仏は教主釈尊なり。名を久遠元初の自受用法身末法下種の本仏並びに本門戒壇の大御本尊と云って、日本国をたぼらかして釈尊を他仏にかへたり。釈尊をすつる心はただ一つなり。されば今の代の滅せん事又疑いなかるべし」 である。 さて、聖人はこの下山抄の最後に、仏の道は親子の道に先立つと言い、その仏の道を体現している日蓮にみな従うべしと強調して、相手に対して法華経受持を勧めている。 云わく 「悉達太子は閻浮第一の孝子なり。父の王の命を背きてこそ、父母をば引導し給いしか。比干は親父紂王を諫暁して胸を鑿たれてこそ賢人の名をば流せしか。賤しみ給とも、小法師が諫暁を用ひ給はずば、現当の御歎きとなるべし。是れは親の為に読みまいらせ候はぬ阿弥陀経にて候へば、いかにも当時は叶うべしとはおぼへ候はず。恐恐申し上げ候」 親の為にもならぬ念仏・阿弥陀経などは捨てて、法華経を読誦して供養をせよと締めくくられている。 この書状を読んだ下山殿はどう思われたであろうか。 ただちに怒り狂って破り捨てたであろうか。 否、法華経への誤解が解け、因幡房への申し訳無さに身が震えたであろう。 直ちに念仏を捨てて聖人の元へ走ったのであろう。 やがて下山殿は屋敷を寺院として供養し、聖人との最後のお別れには一泊の宿として迎え入り、そして心行くまで法門を拝聴したに違いない。 時代は過ぎて今は静かな山の中の寺院であるが、その時の銀杏は今も本堂の前に鎮座しているが大きなロマンを感じてしまう。

traveller DEEP ☆ 5/5
Yoshinori kageshima

山梨県南巨摩郡身延町下山に在る日蓮宗の寺院です。 身延山久遠寺から国道52号線を甲府方面へ車を進め『矢沢橋北詰』を過ぎた左側に入口が有り仁王門の奥に駐車場が有ります。 入口が分かり難いので注意です、寺院境内には日蓮聖人が本国寺に立ち寄った時にお手植えしたと云われる『お葉付きイチョウ』の大木が有り昭和初期に国指定天然記念物になって居る。 境内には園児らが絵付けした風鈴が並んで居るが参詣者は無く静かなお寺! 公孫樹の実が彼方此方に落ち黄葉も間近の様でする。感染対策でしょうか?3度目の参詣で書置き御首題を拝受しましたありがとうございます。 ご住職様は公孫樹の黄葉の時期にまた来てくださいとおしゃって居ました。

Yoshinori kageshima ☆ 3/5
Kunihiro Kyougoku

日蓮宗宗門史跡。 おはつき銀杏が有名だが、庫裏の梁が素晴らしい。 また、住職さんの人柄も気さくで話しやすく、すばらしかったです。 御首題頂きました。

Kunihiro Kyougoku ☆ 5/5
nyaao

国指定天然記念物のオハツキイチョウがあります。黄色に色づいた大きなイチョウはとてもキレイで毎年見に行っています。

nyaao ☆ 5/5
パンダ・ザ・ジャイアント

お葉付き銀杏の看板に誘われて訪ねました。 見事な銀杏の木に圧倒されます。

パンダ・ザ・ジャイアント ☆ 4/5
望月謙

長栄山と書かれた門?の所の継手が謎過ぎる。どなたかどう繋いだか分かる方いますかね。。。 何度見ても、見れば見るほど謎、昔の人はすごい。

望月謙 ☆ 5/5
熊野きよしろう

本堂の前に大きな銀杏がある。オハツキイチョウというそうです。

熊野きよしろう ☆ 4/5

~に関する情報 日蓮宗宗門史跡 長栄山本国寺

住所

日蓮宗宗門史跡 長栄山本国寺 に位置しています 日本、〒409-2522 山梨県南巨摩郡身延町下山2271 日蓮宗宗門史跡 長栄山本国寺

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電話番号は 日蓮宗宗門史跡 長栄山本国寺 は +81 556-62-5205

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