倭文神社 (上野国九宮)
倭文神社 (上野国九宮)は伊勢崎市 (日本)にあります。寺院のカテゴリで注目されており、評価は5.7です。詳細はこちらをご覧ください。
顧客レビュー
倭文神社 (上野国九宮) 評価は 3.8 ~から 5 に基づいて 43 レビュー Googleで
弥生時代の創建と言われ、平安時代の神社に関する記録にも名前が出て来る式内社…。地名の上之宮は、かって利根川を挟んで対岸にあった火雷神社(玉村町下之宮に所在)に対してのもので、この神社に由来している…。小さな山みたいに木々がこんもりと繁っていて、東側は、工業団地内の「倭文の里公園」に隣接し、西側には川が流れている。社殿は南向きに鎮座。拝殿は入母屋造りで、正面の縁が広い、本殿は風格ある流れ造りで、いずれも彫刻は控え目でさっぱり系…。幔幕の紋所の葉っぱに、虫食い跡らしいものが点々とあり、ちょっと変わっている。本殿の西側に、大人ふた抱ええほどもあるゴツゴツした岩があり、しめ縄がぐるりと一回りしているところを見ると磐座に違いない。植え込みの陰から、宮郷7福神めぐりのメンバーである恵比寿(福の神)が参拝に訪れる善男善女の姿をそっと見つめている。説明板あり。 ️は境内裏または近くの上之宮区会議所にあり。2026/1/9
倭文神社(しとりじんじゃ)は、BC27に創建されたと伝えられています。祭神は、天羽槌雄神(あめのはずちおのかみ)です。天照大御神が天岩屋に隠された際、 大神に献上する文布(しず)を織った機織の神です。この神社は式内社です。 利根川左岸に鎮座しており、右岸に鎮座する火雷神社「上野国八宮 下之宮」対して「上野国九宮、上之宮」と称されます。
式内小社、上野国九宮。旧郷社。 主祭神:天羽槌雄命(あめのはづちのおのみこと)。 創建:第11代垂仁天皇3年(社伝)。 倭文神社(しどりじんじゃ)は、利根川左岸に鎮座しており、右岸に鎮座する火雷(からい、ほのいかづち)神社(上野国八宮、下之宮)に対して「上之宮(かみのみや)」と称されています。鎮座地の地名「上之宮」は当社に由来するとされていて、利根川を挟んで「下之宮」の火雷神社と対峙しますが、中世の利根川変流まで両社は地続きであったとのことです。 当社の御祭神は、天羽槌雄命(あめのはづちのおのみこと)で、天照大神を天の岩戸から誘い出すために、文布(あや)を織ったそうです。文布は倭文布とも倭文とも書き、「シドリ」また「シヅリ」という織物のことだそうです。 「シドリ」とは「シズオリ」の略で、天羽槌雄命は平絹を織る部民・倭文部(しどりべ)の氏神だそうです。これより、倭文部が当地に移住して天羽槌雄命を祀ったとする説があります。また、『和名抄』には「那波郡倭文郷」の記載がありますが、これを当地と見る説もあるそうです。 東にある別の鳥居は、広々とした公園緑地の「倭文の郷公園」に面していました。
倭文神社。「しどりじんじゃ」と読む。群馬県伊勢崎市東上之宮町に鎮座。祭神は天羽槌雄命(あめのはづちのみこと)。この社格は旧郷社、延喜式内社、上野國九宮。 垂仁天皇の御代に創建と伝わる古社。上野国神名帳には「従一位倭文大明神」と記載される。江戸幕府三代将軍徳川家光より十石の朱印地を賜る。 祭神の天羽槌雄命は、機織りの神様である。 特殊神事として田遊び神事が行われる。 御朱印あり。中央の印には神代文字が刻まれている。こちらの神社は高山神社の宮司さんの本務社にあたり、高山神社に宮司さんが詰めている日時をお伺いし、そちらで頂きました。
第11代垂仁天皇の時代の創建。 その皇子が五十日足彦命(いかたらしのひこのみこと)で、越の国(現在の新潟県)の開拓を命ぜられて生涯を尽くされたとされています。その子孫が五十嵐一族と言われています。 倭文神社本殿脇の灯籠には五十嵐姓の方の名前が見られます。三国山脈を超えて関東にも進出された一族のロマンを感じるのは私だけでしょうか。
延喜式神名帳の上野國那波郡の項に記載のある式内社で、上野國九宮。 通称「上之宮」。 御祭神は社名のとおり、天羽槌雄命。 社伝によると、垂仁天皇の御代の創祀という古社。 玉村町下之宮に鎮座する火雷神社が香々背男を祀るとすれば、当社とは対の関係にある。
歴史ある古社ですが、管理が行き届いていない印象を受けました。残念ながら手水桶には柄杓も無く手水が出来ません。利根川の右岸にある火雷神社と対になっており、こちらが「上之宮」と呼ばれています。
~に関する情報 倭文神社 (上野国九宮)
住所
倭文神社 (上野国九宮) に位置しています 日本、〒372-0815 群馬県伊勢崎市東上之宮町380−1 倭文神社 (上野国九宮)
営業時間
月曜日: 24時間営業
火曜日: 24時間営業
水曜日: 24時間営業
木曜日: 24時間営業
金曜日: 24時間営業
土曜日: 24時間営業
日曜日: 24時間営業
