宇都宮家の墓所
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宇都宮氏の墓所。尾羽の里交遊館の裏の公園部分の先にある。墓石ごとに名前が記された石が置かれていたが磨耗していて数人を除き判別不能。宇都宮氏の墓所は宇都宮駅西口の清厳寺・興禅寺にもあるが歴代の半分以上がこの尾羽の地に眠っている。なぜこんな下野と常陸の境に菩提寺を置いたのかが一つの謎。宇都宮氏は元々筑西市発祥の八田氏の分かれなので常陸国に近いこの場所に安心感があったのだろうか。
宇都宮氏3代目・朝綱は隠居後この地に暮らし、墓を築いた。現地には33代までの五輪塔が並ぶ。ただしその墓の一部は、過去に力自慢で入れ替えられてしまい、古いものと新しいものが混在しているという。冗談なのか本当なのか疑問が残る話である。
宇都宮家の墓所。大正時代の第33代の政綱までの墓石がずらっと並んでいます。それぞれに歴代の名前の看板がありますが、掠れて読めないものが多いです。第3代朝綱によって建立された綱神社から歴代の墓が守られてきたのは歴史を感じさせてくれます。
宇都宮市ではなく、益子町に宇都宮家の墓所があるのには理由があります。宇都宮家の三代目当主の朝綱さんが地蔵院に隠棲し、その時にこの地を墓所とすると宣言し、なんと大正時代まで33代まで埋葬されています。すごい歴史ですね。
平安時代末期から続く宇都宮家累代のお墓(五輪塔など)です。 主な当主を紹介します。 初代 藤原(宇都宮)宗円 2代 八田(宇都宮)宗綱 …朝綱と八田知家の父 3代 宇都宮朝綱 …宇都宮社務職に任命 大羽の地に隠棲 尾羽寺建立 5代 宇都宮頼綱・蓮生 …百人一首選定を依頼 (娘婿は藤原定家の子) 8代 宇都宮貞綱 …元寇に備え筑前国に石塁建設 22代 宇都宮国綱 …豊臣秀吉により改易 →のちに水戸徳川家の客分に 大正時代(33代)まで、33のお墓がずらりと並んでいます。
ここは、3回目です。最初は、10年前くらいになります。その時は、もう少しきれいだったと思います。そして、歴代の名前もはっきりしていました。たぶん、お墓の近くに、殿様に言われて墓守をする家臣の家があると思いますが、何百年と引き継がれて、守っていると思うと、本当にすごいと思います。
宇都宮氏が改易された後、水戸藩の重臣となってからも墓所は変わらず、ずっと続いてきたという中々凄いスポット。 累代、どの墓石も簡素。にも拘らず整然と並んでおり、逆に凄味がある。地蔵院、綱神社に続き、こちらも何かの創作物に出てきそうな異世界感が漂うところだった。 どれが誰の墓かは、実はわかっていないものもあるようだ。 33代、大正時代の方の最後の墓碑のみ、かなり新しく、苔むしてもいなかった。礎石はそうでもなさそうだったが、上物は最近作ったのかもしれない。 宇都宮氏が水戸に移ったのちも、家臣の一部は墓守としてこの地に残り、帰農したものも多いようなことが説明文にかかれていた。周りの民家の方々は、その子孫と言うことになるのだろうか。
~に関する情報 宇都宮家の墓所
住所
宇都宮家の墓所 に位置しています 日本、〒321-4212 栃木県芳賀郡益子町上大羽940 宇都宮家の墓所
ウェブサイト
ウェブサイトの 宇都宮家の墓所 は tochigi-edu.ed.jp/center/bunkazai/bunkazai/list/950.htm
